ある家族のノンフィクション手記

親兄弟は選べない。家族という病

自己紹介

はじめまして。私の半生を綴ってます。

わたしは氷河期世代です。

不遇世代・谷間世代・狭間世代。とも言うようです。

会社でいえば、上にも下にも揉まれている世代です(笑)

 

認知療法

認知行動療法ってご存じですか?

認知はものの受け取り方や考え方という意味。

「三つ子の魂百まで」

幼い頃に体得した性格・気質・性質は一生変わることがないという意味です。

 

こども時代、おおよそ6歳頃までに

「親に言われた言葉」「親にされた行動」などに基づいて形成され

無意識レベルで繰り返している思考・行動パターンに着目します。

 

「物の見方」や「考え方の癖」を見つけ、意識することによって

「違う角度からの見方」や「違う考え方」を自分の中で取り入れてみると

人生少しいい方向に動き出したり、いい風が吹くのではないかと思うのです。

しかし状況が悪くなったり、ストレス下におかれると私たちはどうしてもパワー不足になり悲観的なものの考え方になりがちです。

 

悲観的になって後ろ向きの人生になるのではなく、

前向きにすすむための思考のバランスを整える作業、認知行動療法のため

人格形成となった幼少期から掲載しようと思います。

しかしながら元気でない状態のときに見ると、つらくなるかもしれません。

その点、ご理解いただいた上でお目通しいただければと思います。

私自身も一番触れられたくないことは幼少期のこと。

過去のことは長年蓋をとじてきました。

パンドラの箱を開ける作業なのです。

 

日本では平均を求められます。

同調圧力という日本の風潮です。

「人と違う」「個性」「出る杭打たれる」風潮があります。

人と違うということを友達にもカミングアウトしにくいですし、

したところで欲しい言葉なんて返ってきません。

わかってほしいと思っても、わかるわけないのです。

違う環境で育ったのですから。

それどころか、平均でない経験を語ることによって

相手の感情的負担になるのもあるのでしょう。

いい話で終わらせようと美談にもっていこうとしたり

そんなはずはないと話自体を否定されて、

理解されず余計傷つくことがあったのではないでしょうか。

他人の家庭のことなんて誰にもわかる由もありません。

 

そういった失敗を味わい、傷つき、こころに蓋をしてきました。

蓋をして、全力で前を向くことで

時にはよい風が吹くこともあれば

蓋をしたことによって、消化し切れなかった感情が

かさぶたとして残ってしまったこともあります。

 

子ども時代に子どもらしいことができなかった、

子どもらしいことが許されなかった人が

子どもの感情を置いてきたことによる障壁で

アダルトチルドレンであることを認める作業です。

 

芸能人でいえば、

東ちづるさん著

「<私>はなぜカウンセリングを受けたのかー「いい人、やめた!」母と娘の挑戦」

 

青木さやかさん著

「母」

が有名でしょうか。

 

親からの虐待「暴言、体罰、ネグレクト」がなくても、

なに不自由ない一般家庭で育ち、普通の親でも

似たようなことがあるのではないかと思います。

・過保護

・兄弟姉妹と自分を比べ、ひいきする

・何かにつけて口を出す(過干渉)

・じっくり話を聞いてくれない(拒絶)

・バカにする(否定する)

・子どもに愚痴を聞かせる(同情を誘い、支配する)

・自分の所有物のように扱い、パーソナル領域にズカズカ侵入する。

・レールをひく(自由を奪う)

・子どもを監視・支配する(自由を奪う)

・子どもに自分の価値観や理想を押し付ける

・子どもの気持ちよりも世間体や見栄を優先する

・仕事で忙しくしてて、無関心

 

普通の家庭で育った方にも、環境によって形成された性格がありますので

一部私の境遇とあてはまる部分があると思います。

 

自分の人生、自分で解決していきたい。

問題に直面したとき、自分で向き合いたい。

親との関係に苦しみ、もがき、新しい道を切り開いてきました。

その過程では、都度立ち止まって、自分で考え、自分で行動してきましたが

自分のことが自分が一番わかっているようで

近すぎてわからない部分もあるのです。

自分はこういう人間だからと開き直れば、簡単に済みますが

考え方の癖、性格の癖を少し変えれば、少しラクになるのはと思うのです。

形成された性格は180度変えることは無理でも

心境の変化が前向きな動機付けになればと思い立ち上げました。

ゆっくり、少しずつのペースですが、更新していきたいと思います。

拙い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。