ある家族のノンフィクション手記

親兄弟は選べない。家族という病

生まれた順番や環境によって性格は形成される(ネグレスト)

わたしは長子、1歳違いの年子の弟がいて、4歳下の弟がいます。

年子の弟は弟が生まれるまで親の愛を一心で育ち、泣き虫で甘えん坊でした。

弟の武器は泣くこと。泣いたら親の気をひくことができました。

 

長子の私が甘えたり泣くすることは許されないし、母に声をかけただけで叱責される。叱責が怖くて、黙る、我慢、甘えられない。

 

ところが4歳下の弟が生まれると、当然のことながら親の感心は末っ子・赤子へと変わります。

どうしても手がかかるのでしょうがないことです。

真ん中の弟は今までは泣けば母の愛情を受けれていた、でも、もうその手が通用しません。

母の愛情の対象は末っ子だけに注がれ、泣き虫で甘えん坊だった真ん中の弟は、その手が通用しなくなったことに苛立ち、生まれたばかりの赤ちゃんに嫉妬し、いじわるをしだします。

母の関心をまた取り戻したい一心で、暴力的になり、時には大きな問題を起こすことで感心を引こうとする、"スケープゴート"になっていきました。

このように生まれてくる順番や立場によって、性格が変わるのだなぁと幼心に思ったものです。

 

手を滑らして物を落としたたり、食べ物をこぼしたり、外出先でトイレに行きたくなったり、わざとではないのですが、子どもなので不注意があります。

幼い頃の記憶は怒られたこと、怒っている母の顔しか残っていません。

 

真ん中の弟は母の愛情が末っ子に移ったことによるストレスでそのイライラが暴力と変わったのですが、その暴力が私に注がれる。

何もしてないのに叩いてくる。物を投げてくる。

遊んでるおもちゃを奪うために手を出してくる。

でも母はそれを叱ったり、教育をしない。放置。

放置した結果、真ん中の弟の暴力は家庭内におさまらず、近所の子にも及び「あの子と遊んだら危ない」と注意人物としてマークされることになるのに時間はかかりませんでした。

年の近いこと遊べば、自分の思い通りにならなければ手をあげるので

大人たちは自分の子どもを弟から遠ざけようと配慮していました。

着てる服も何日も同じものを着ていたり、髪の毛をとくということを教わらなかったのでボサボサで、今でいうネグレスト。当時はそういう言葉はありません。近所のおばさんが井戸端会議してる目線の先は私や弟に注がれます。

私が右にいけば、おばさんたちの目線も同じように右に移動し、目で追っているのがわかるんですね。幼いながら私のことを噂していることは察知しました。

もう4歳で大人の目を気になるんですね。

健全な家族で育てば4歳なんて空気なんて読みません。

 

きっと幼い頃から母の顔色を伺って育っているので、大人の目を気にするのは自然なことだったのかもしれません。

 

そのおばさんのリーダー的な人が私に言いました。

「同じ服ばっかり着てるけど、着替えさせてもらえないの?お風呂はいつ入った?

お母さんは髪の毛といてくれないの?」「明日、くし持ってうちにおいで。」

「〇〇(弟の名前)君に、うちの子が叩かれて迷惑してるってお母さんに言っといて」

大人に囲まれて、責められているような気がしてこわくてどう答えたかは覚えていない。

 

家に帰って母に弟が近所の子を叩いていること、近所の大人たちがそのことを迷惑してることを伝えたら

「あんたがいながら、なんでちゃんと注意しないの」となる。

責任転嫁を幼い私にする。

 

私が注意してなんとかなってないのが現状。私が叩かれて困っているのに

私の言うことを聞くわけない…。

 

 

 

 

幼い頃に物事の善悪をその都度教えないといけない。

それを放置した結果、善悪を理解できないまま大きくなる。

大きくなってからは力関係も逆転するし、人格が確立してしまう。

問題が拡大してから変えようと思っても手の施しようができない。

放置した結果、叩く、物を投げる…がエスカレートして

ある日、近所の女の子と遊んでいたら、金属バットで頭を殴られ流血する大けがをし、頭を縫う手術に加え、脳障害を起こすことになりました…。

背後から迫ってきたので、弟が背後にいることに気づかず、逃げようがありませんでした。私にとって脳に及んだ後遺症が一番つらかったです。

その頃から母の育て方、子どもの向き合い方に疑問を持ち始めました。

 

話しは戻ります。

井戸端会議のリーダー格のおばさんが、

「クシ持って明日家においで」という言葉を

4歳の私は言葉をそのまま受け取り、翌日、行きました。

まさか本当に来ると思ってなかったのでしょう。

びっくりした顔を覚えています。と、同時にあれは母を母親失格と言いたかっただけの言葉だったんだと気づくのに時間はかかりませんでした。

そして、髪の毛をとくということもその時に学びました。

こうやって世間に注意され、学んだことが多かったです。

歯を磨くとか、服も毎日服を着替えるということも。

ですが、母は毎日洗濯物を出すと怒るので、3つくらいをローテーションしながら着ていました。何回着たら洗濯を許してもらえるのかもわかりませんでした。

 

 

つづく