ある家族のノンフィクション手記

親兄弟は選べない。家族という病

皿が飛ぶ家。激しい夫婦喧嘩

父と母はよく言い争いの喧嘩をしていました。

喧嘩の度が過ぎると、食器を投げたりするので、食器の割れる音は日常茶飯事になり、時には窓が割れることもありました。

一番びっくりしたのはテレビの画面が割れた時。

子どもながらに、テレビは放送局と繋がっていると思っていたので

画面が割れたときは、部品がむき出しになって、ただの電化製品であることを目の当たりにして驚いたことがあります。

ただ、窓やテレビは高価なので懲りたのか1度きりで、もっぱらグラスや皿が家の中で飛んでいました。

 

子どもなので喧嘩の原因はわかりませんが、物心がついた時から夫婦仲が悪く、喧嘩が絶えない状態でした。激しさのあまり、勢い余ってアヤメたりしないか、それくらい喧嘩が激しくて嵐が過ぎるのを待つだけの夜が続き、子どもながらに神経が磨り減ってました。

接触を避けるため、父は平日は遅く帰ってきて、休みの日はよくパチンコに行ったり、社会人野球にいって家にいないことが多かったです。

 

とある休日。珍しく家で新聞を読んでいた父。

私は休日におうちに父がいることが嬉しくて遊んで欲しくてと父にじゃれます。

父は新聞に集中していて、今は大事なところを読んでいるんだ。邪魔されたくないという状況だったのだと思います。

私を払いのける(背中を押す)と、大人の力なので思いのほか突き放す力が強く、私は押された反動で自分の力では踏ん張ることができず、コントロールを失ったまま、窓の枠に顔面突っ込んでしまい流血。

その日は日曜日で、父が慌てて休日診療所まで私を連れて行き、3本ほど縫う手術をしました。

父は私に謝ってくれました。私も故意ではなく事故だったとわかっています。

父に悪気があったわけではないのですが、ちょっと押しただけで、あの怪力。

身長が180cm以上あり、体が大きかったせいもあり、力が強い=怖い と思うようになり、その日以降を境に、わたしは父に無邪気にじゃれることができなくなったのでした。

幼心に父への恐怖心が芽生えた、4歳の頃の出来事でした。

 

話しは戻ります。

相変わらず激しい夫婦喧嘩が夜な夜な行われ、そのたびに、助けにいかなきゃと思って布団から出て、止めにいこうと思うのですが、事故の一件で父への恐怖心から二人を止めることができません。

部屋の隅、ドア付近で泣きながら、ただ、終わるのを待つだけの無力な幼子。

 

母が余計なことを言い、父が暴力を振るう。(幼いながらそのように見えました)

母は力で勝てないから食器を投げつける。

ヒステリックな声を出して近所に聞こえるように喧嘩する。

心配になって二人の近くまで行くのですが、怖すぎてドア付近に立って

それ以上近づけない。

そのうち、親に向こうに行ってなさい。早く寝なさいと言われ、

部屋に戻り、布団の中で泣きながら早く喧嘩が終わるように神様に祈る。そんな毎日でした。

感情的になりすぎて勢い余って手をかけてしまわないか、不安な夜を何度過ごしたことでしょう。

喧嘩の声が大きいのでおちおち寝てられないし、そもそも二人が心配で寝るということができませんでした。

 

でも男と女の違いなのかもしれませんが、弟はその激しい喧嘩の中でもスヤスヤと寝ています。

不安と恐怖を誰とも共有できず、当時大好きだったぬいぐるみを抱きしめて、夜になると泣きながら、「早くこの喧嘩が鎮まりますように。お父さんとお母さんが仲良くなりますように」と祈りの届かない神に藁をもすがる思いで祈り、布団の中で泣きながら二人の喧嘩がおさまるのを待っていました。ようやく静かになって、安心して眠りにつく生活を送っていたので、朝になると睡眠不足で起きれませんでした。

学校の授業も眠くて、集中できてなかったですね。

 

 

 

…つづく

 

当時を振り返り。

なぜ当時は体を張って止めなかったのだろうかと後悔ばかりします。

私が止めに入ったら夫婦喧嘩は止めれたのではないか?と自問自答しています。

勇気がないばかりに大人になっても勇気がないままです。

親の喧嘩を体を張って止めた友達のエピソードを聞くと、勇敢だなと思うと同時に

私にはなぜできなかったのだろうかと、心を痛めています。

 

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