ある家族のノンフィクション手記

親兄弟は選べない。家族という病

兄弟は選べないという不幸

兄弟が三人いるが、三人とも全く似ていない、全く違う人格である。

毒親育ちはただでさえ『「ない」に等しい』薄い、薄い親の愛情を奪い合おうとするので結果、兄弟仲が絶望的に悪い。

これからおいおい書いていくが、私が幸せに穏やかに生きていくために兄弟の縁を切ったのには、私には守るべき家族が出来たからだ。

なぜ縁を切らなければいけないのか。

常に頭を抱えるのは私が生まれ育った家族の問題行動。

現時点で問題だらけなのにいつか問題を起こして新聞やニュースを賑わすのではないかと怯える日々。

機能不全家族というのは、問題は母親だけにとどまらず、そういった兄弟の存在にも苦しめられたりする。

 

母親がJWに陶酔していた時期は自分が家にいない時は、お互いを監視させて

教えに逆らった行動をしていないか、家族間、兄弟間で監視させていた。

つまり、兄弟といえども心を許す相手ではなく「敵」になる。

自分を守るために自分に向けられた母の関心の矛先を

別の兄弟の悪事(生贄)を差し出すことによって

ムチから逃れるため「トカゲのしっぽ切り」のように

自分の身を守るためにチクる材料を常に用意しておく。

目の前に裏切り者がいる状態で生活をするものだからうかつに自分の弱みを晒せない。

いつそれが足元をすくう材料になりかねないから、秘密主義になる。

兄弟といえども心を通わすことのできない敵対した関係なのだ。

 

JWは男を立てる。男はよくても女だと許されないことが多い。

また、母が育った時代背景としてただ長男に生まれたというだけで大事にされ、

女に教育はいらない、家事は女がするものだという古い考えが根付いた世代でもある。

その考えを私にも押しつける。

満たされずに育った我慢を娘の私にも強要する。

母は娘に女としてライバル意識を持つので自分が我慢してきたんだから当然娘も我慢をすべき。自分より満たされるなんて許さない。

親である以前に母は女なのだ。

娘にライバル視して勝手に嫉妬心を抱く。

 

理不尽だなと思ったことなんて日常的におこる。

それが兄弟間差別、兄弟えこひいきである。

生まれた順番も性別も性別も選べずにこの世に生まれてきた理不尽さ。

選べるのなら損な役回りの女、それも長女なんて御免だ。

 

子供の頃から女の子は損だと感じながら育った。

台所に立って手伝うのも女、みんなが食卓でご飯を食べ始めているけど

最後に座って食べるのも女。

食後も弟と同じようにくつろぐことは許されない。

食べたらすぐに動かないと母親はカッとなってムチが飛んでくる。

母は常に娘の粗をさがしている状態だ。

 

そういう環境で育ったから弟は女を下に見ている。

偉そうに食卓で待っていたら召使が配膳してくれると思っているし、

女は我慢するものだと見下しているし、

女は雑に扱っていいものと思っている。

お金に困っても女が外で働いて工面するし、

大声を張り上げれば怯えて言うことを聞くこと、

そういう思考にさせたのは紛れもなく母親だ。

モラハラ男を育てたのもそう、この母親だ。

 

年頃になると、毎日のように女を連れ込んでいた。

盛りのついた猿のように。

玄関からすぐ自分の部屋があることをいいことに同じ日に複数の女が入れ替わることもあった。

弟は5,6人同時交際をしていた。

JWでは性について厳しくてタブーであったが、ダメと言われれば言われるほど

罪を犯したくなるのが人間なのか?性に目覚めてからは完全に猿だった。

 

女には金を貢げば言うことを聞くとそういう思っているように見えた。

母はお金が好きだったことから女は金でなびくことを学んでいる。

 

力でねじ伏せられて育つと

他人も力でねじ伏せられると学んでいるから同じことをする。

 

私には例え会社の同僚であっても、異性と接触することも

会話することも許されなかったが、

弟に関しては男だから逆らえない、力では負けるから言いなりになっていた。

困ったときは私を通して注意してと言ってくるくらい、親の務めを放棄していた。

 

まだ携帯電話が主流でなく、家電が主力だった時代。

弟は「これから〇〇(女)から電話があったら明日仕事で早いからもう寝たって言っっといて」と雑用をいいつける。

予告通り、女から電話がかかってくる。

母は弟の言いつけの通りに伝言していた。

その隣の部屋で弟は違う女と一緒に一夜を共にしていた。

この電話の内容を聞いて、女は何を思っているのだろうか。

 

子どもは急には大人にならない。

幼い頃、弟は近所の子のおもちゃを自分の物にしたくて殴ってまで奪ったことがあった。

弟の問題行動に私もどうすればいいのかわからず、急いで母に助けを求めても

「お前がその場にいて、なんでまとまれへんねん」

「おもちゃ借りるのがなんで悪いんや」と

現場に行きもせず、子育てから逃げて私に全てを押しつけた。

これは社会に出て人間関係のいざこざに巻き込まれた大人でも解決が難しい。

それを見本も手本もない状態で幼い子どもだけで解決なんて到底無理。

幼い頃に物事の善悪を教えるのは兄弟ではない。

子どもの教育は兄弟がするのではなく、生んだ親の責任だ。

教育を放棄し、子育てに向き合わずにいたら、弟の傲慢さはエスカレートしていき、

弟が一歩外に出てその輪に入ろうとすると、近所のお母さんたちは自分の子を守るために急いで家に戻るようになった。

弟のイライラの矛先は私に向かった。

いきなり前触れもなく背後から私の頭を金属バットで殴るという重傷を負わせた。

私に生涯残る障害を与えた。

その時点からでも教育はできたはず。

向き合うことから逃げて放置してきた結果が自己中なモラハラ男が完成した。

小さい頃に物事の善悪、人を傷つけてはいけない、人に嫌なことをしてはいけない、そういった当たり前のことを教えずに向き合わずに来た結果がそう。

大きくなってからでは力関係も逆転する。

俺様理論。俺の言うことが絶対。猛獣男に仕上がった。

子どもはいきなり大人にはならない。

コントロールが効かなくなってからでは遅い。

自分の思い通りに他人を支配し、操ろうとするところも母親から学んだのだろう。

馬鹿のくせに男の権威だけは振りかざすどうしようもないモラハラ男になってしまった。

気に食わないことがあると自分の要求が通るまでまくし立てる面倒な男に仕上がった。

 

…つづく

宗教二世と政治

長らく更新せずにいると何から書けばいいか躊躇してしまい

ますますに更新が渋っておりました。今日は政治の話になります。

 

JWは競争を「悪」として捉えるので、競争…運動会、スポーツはNG。

選挙に勝つということは競争とみなし、政治に関与しない。

選挙で立候補はもちろんのこと、投票もしない。

政治を支持したり、政治に興味を持つことすら許されない。

彼らの主張はこうだ。

エスの手本に従っている。

エスも政治の地位に就くことを拒んだのだ。

人の上に立つことは決して許さない。

人の上に立つことができるのはエホバ神、ただ一人だと。

権威権力はエホバだけのものである。よって政治の権威権力は間違っている。

ほらごらん、人間が統治すると失敗する。

ね、政治と金の問題が出てくるでしょ?人が人を統治なんてできやしないんだ。

平たく言えばこんな感じに擦り込まれた。

 

私は「エホバが神」なんて信じていなかったのに、なぜかこういった類の擦り込みがぬぐえていなかった。こういった弊害があとになって気づくことが多い。

知らず知らずのうちに洗脳されていただろう。

10代のうちに宗教から離れたのにもかかわらず、長いこと政治に興味を持たずに来た。

仕事が忙しかったからと言い訳にしつつも大きな声で言えないが

投票したのも40代になってから。

 

そもそも投票の仕方さえを知らなかった。

いい歳して今さらこんな当たり前のことを聞けないとずるずると時が流れ、

結婚を期に、夫はかかさず選挙に投票に行く人だったことから、恥を忍んで投票の方法を教えてもらい少しずつ政治に関心を持つようになったという、恥ずかしい過去を持つ。

 

時を戻します。私が学生の頃、高市さんが演説をしてるのを聞いたことがある。

叙述のとおり、政治に関心のなかった子ども時代。

選挙カーでは清き一票を!これしか言わない立候補者の中で

高市さんは自分の言葉で演説しているのはわかった。

この人信条を持って活動しているなぁと印象だけは残っていた。

 

あれから時が流れ、今、高市氏発言や公約について100%全面支持というわけではないが自然と応援したくなる。

(友達でも100%考え方が合う人なんて存在しないし、そういうものだろう)

 

私は超絶就職氷河期を経験し、面接だけでも100社は越えた。

やっとの思いで掴んだ内定。入社してみれば拍子抜け。

苦労せずに就職できた先輩たちの仕事ぶりは…。

ただの腰かけ。このギャップをどう言葉に表せようか。

数年先に入社しただけでこれだ。

失礼を承知で言えば、この人の代わりは誰でも務まる、その程度の仕事。だから仕事も当然面白くなくて当然だ。

24歳までに結婚しなければ25歳はクリスマスケーキと一緒で価値がなくなる!

売れ残る!!とばかりに、仕事より寿結婚に精を出す。

そんな先輩たちが寿退社した後に、残る”真っ当な”男女肩を並べて仕事をする”女性”のロールモデルが極端に少なかった。

氷河期世代はせっかく勝ち取ったポジションなのだから、そうそう簡単には辞めない。

お前らの代わりはいくらでもいるとパワハラ、セクハラなんて日常的。それに耐えてきたわずかな先輩女性と横並び(同じ超絶氷河期世代)を見ながら、仕事をしてきた。

アラフィフの私でこれなんだから一回り以上、年上の高市氏、片山氏はロールモデルが我々よりもさらにはるかに少ないはずだ。

どれだけ苦労と強い意志で昇りつめたのかと思うと応援せずにいられない。

 

初の女性総理誕生に自然と涙がこぼれる。

アメリカより先に日本に女性元首が誕生したことに感動した。

片山氏、小野田氏の就任会見見ても、就任が決まってから1日足らずであれだけわかりやすく説明できるって純粋にすごいと思ったし尊敬せざるをえない。

頭のいい人は説明が上手い。問題事項がわかると政治が身近に感じられるし、関心が持てる。

 

私が帰国する頃には何歳になっているだろうか?

記憶力低下、体力の衰えを日々感じては社会復帰に躊躇していたが

こんなに頑張っている66歳、64歳がロールモデルとして存在して

キレッキレの飾らない、嘘のない、ただ者でない年下の小野田氏が天井を押し上げてきて弱音吐いている場合じゃないなと、勇気をもらったのです。

比較にはならないほどの苦労、努力。

腹の据え方。

これだから女性は…と言わせないだろうから、仕事も早いだろうし、やるべきことはやるだろうから時代が変わる気がする。

それに女性がいると場の雰囲気も柔らかになりますね。

テレビの前だから演出しているのかもしれないけど、それも見せ方のひとつ、

頭がいいとできない。

時代が変わろうとしている。

明るい未来に期待したい。

人生最初の記憶は何ですか

いびつな親子関係。

生育環境は残酷なほど人格形成、人間形成に影響する。

 

人生最初の記憶を覚えてますか?

私の最初の記憶は2歳か3歳だ。

私が1歳になった頃に年子の弟が生まれた。

その日を境になのかわからないが、母に甘えたり、赤ちゃんらしく振る舞うことは許されなかった。

弟は泣いても許される。まだ赤ちゃんだから。

私も赤ちゃんなのだが、もう姉ちゃんだから許されない。

弟が泣きわめくと母はおむつを替えるか、乳を飲ませるか、抱っこしてあやす。

でも私が同じことをすると怒られた。

末の弟が生まれていなかったので私が2歳か3歳だったと思う。

いつものように弟は泣き叫んでいる。

母は弟のオムツを換えている時、私は煮えたぎる鍋に気づく。

母は火にかけた鍋の存在を忘れていた。

今にも吹きこぼれそうな勢いだ。

それを見て、私は母に知らせないといけないと思い、母に駆け寄り説明しようとするも

うまく言葉が出てこない。

母の手を煩わすことは許されないため、対話は普段からない。

そのため私は言葉が遅かった。そのせいかうまく伝えられない。

いや、2歳、3歳といえばそんなものなのかもしれない。

母に伝えようにもうまく言葉が出てこない。

そんな中、手を煩わせたと勘違いされ怒られる。

子どもは親に怒られると何故怒られたか、自分のどこが悪かったか答え合わせをする。

いかなる状況でも忙しい時は声をかけたらいけないんだと反省し、

自分が悪かったのだと言い聞かせる。

やがて鍋から白い煙が出て、次第に部屋中に焦げついた臭いで気づき、

あわててコンロの火を止めに走る母。

すでに時は遅し。鍋の中身は真っ黒。料理を台無しにしてしまった。

と同時に、その背中からはただならぬ怒りを感じた。

母はゆっくり振り返るとカナリ声をあげながら

焦げ付いたのはお前のせいだ!

こんな忙しい時に手を煩わせたお前のせいだと、

尋常じゃないくらい罵声を浴びせてきた。

怒りがおさまるどころか自分の言葉でさらに火がつき、怒りがなかなかおさまらず、罰として夕飯は抜きだと言われた。本当に与えられなかったのかそこの記憶はない。

母の怒りが静まるのをただ静かに待つしかなかった。

 

私の人生最初の記憶がもうすでに母のヒステリックなシーンでインプットされている。

怒鳴られたりするのは怖いんだ。不機嫌オーラを出された日には触らぬ神に祟りなし。

そっと離れて当たられないように存在を消すしかない。

そうやって母親の顔色を伺うご機嫌取りマシーンになっていった。

いかに母親に怒られないように過ごすか。怒らせないか。

他人軸で生きるクセの完成。

 

それから時が経ち、大人になってからも、なるまでも、やはり私の話しに耳を傾けてくれた記憶がない。

カッとなってムチで叩くという感情優先の人間と一緒に生活していたら

自分の考えていることをうかつに口に出せない。

私が心で感じた自然な感情も、私の存在そのものを受け止めてもらうことも不可能。

会話ではなくいつも命令。または罵倒、否定という一方的な関係性なのだ。

私が母に声をかけるものなら「ああ、めんどくさい」「うるさい」「忙しい」だったから、そんな環境の中で育ったら大人になった今でも自分の気持ちがわかってないと指摘されるし、自分の気持ちを言語化することが苦手だ。

 

会話のキャッチボールができない母とは私が大事な話をしていても、話の途中でもお構いなしに、話題とは無関係のない、異なる話を平気でぶち込んでくる。

その内容は今、どうしても話さなければいけない内容ではない。

むしろ別に聞かなくてもいい、どうでもいい話だったりする。

みんなで一つの話題で盛り上がっていても、話しの腰を折って、違う話をしだすような母だ。

まぁJWの伝道でもそうだけど、あの人たちは一方的なんだよな。

会話のキャッチボールができない相手。

話し合いができないから話してると徒労に終わる相手。暖簾に腕押しとは母のことだ。

他人と自分との間に境界線が曖昧で、自分と同じことをみんな考えてて当然という思考の流れなんだよなぁ。

会話もそうだけど対話ができない家庭で育つと一方的な関係性で成り立っている。

だからか私は自分の話を聞いてもらうことも、話すことにも慣れていない。

母の話を一方的に聞いてばかりで、人とのコミュニケーションはどうしても聞く側になってしまいがち。

 

仲間内で話していても、話題は誰かに持っていかれてしまう。

話のうまい人が話題をかっさらっていくのに関しては許せる。

最低限、人の話しを聞いていて、その流れで自分のエピソードを思い出した…ということだろうから、まだ許せる。

 

人が話している最中に全然違う自分の話をはじめるのは、話しをあからさまに聞いてないのがわかる。こういうことが続くとかなりストレスになる。

話しの腰を折るような人はまずそんなにいない。母ぐらいなものだ。

 

自分の考えていることを自由自在に話せるようになる日は来るのだろうか。

言語化が不得意でこんな読みにくい文章を最後までおつきあいいただき申し訳ありません。

アイデンティティ迷子、愛着障害

…前回のつづき

着付け教室に通うも、拍子抜けするくらい母はハマらなかった。

友達を作る気もなかったので必然と母親は自分の愚痴をひたすら聞いてくれることをただ要求してくる。

人の話しはすぐに遮り、一方的に自分の話し。

家に相当な金額入れているのにもかかわらず、私は一切望んでもいない食事代も

私が負担して「当然」とばかりに会計の段階になるといなくなる母。

 

世の中の男性の気持ちが痛いほどわかる。

せめて食事する相手は楽しい人がいいし、

お金を出してもらって当然という態度は腹立たしい。

男性だってお金を払うなら気持ちよく払いたい。

そのためには食事の場で楽しい話題が必要不可欠だし、

相手を知ろうとすることも大事(一方的に自分の話しばかりしてはいけない)

もっとこの人と一緒にいたいと思わせる人間性や魅力が備わっていないといけない。

そういうことを母を通して学んだ。

嫌なことはされてみないとわからないものだ。

 

母とは食事の好みも異なる。

私は少量でいいので素材がいいものを食べたいのに対して

母はバイキングが好き。

今思えば40代になると食欲が落ちるのに

母の食欲は衰えることを知らず、食欲旺盛。太っていた。

 

毎回バイキングだからか、それとも好きじゃない人との食事だからなのか

私はバイキングが大嫌いだ。

そしてなにより母の話しが苦痛。

母親の愚痴は負のエネルギーが大きすぎて、それを受け続けると

ただでさえ両方カロリーオーバーなのに消化不良を起こす。

母は父のことで囚われの身になっていて、父の悪口が言いたいだけなのだ。

過去の人の話しをいつまで言う?とあきれる。

 

独身時代に父から4股、5股かけられていたこと。

父は女から女を渡り歩く男。

誰といても満たされないから4股、5股になるのだろう。

そういう男に限って全員のことが好きというが

私から言わせれば、4人、5人でやっと満たされるような相手。

相手には悪いが誰のことも真剣に好きでもないと思うのだが。

誰かの代わり、ストックがないと不安。

唯一無二の存在ではないのは明らか。

元々浮気する素質があるのがわかっていたのに、なんで結婚したのか聞いてみたら

結婚したら変わると思った。

子どもが生まれたら変わると思った。

はい。出ました。他責思考

自分が変わらずに人が変わることを期待する。

こういう男と一緒になるということは、

相手が浮気するかもしれない覚悟、

よその女に本気になって出ていくかもしれない未来があることの覚悟は必要。

 

容姿がいいだけで中身なんて空っぽの若いふたり。

父を独り占めしたくて、父がまだ大学在学中に結婚。

お互い容姿だけで惹かれあっただけの中身がスカスカの若いふたりは

結婚は勢いとばかりに計画性ゼロ結婚、おままごと婚だから

大恋愛した気になったけど、結婚はゴールではなく本番スタート。

結婚してすぐに私が身籠ったから

就職するしかなくて父は大学中退。

そうなると生涯賃金も変わってくる。

それは計画性のないふたりの問題であって、私のせいでも何でもないが

私が生まれたことを母から随分と責められたものだ。

 

母は過去(父のことで)囚われの身になっていたので様々な父の愚痴を聞かされた。

父方の祖母、私は血の繋がった「おばあちゃん」とずっと思っていたけど

実は血の繋がりがない、後妻さんと知った。

祖父母宅に帰省した盆正月はご馳走を用意してくれた。

祖母の作る手料理が好きだった。

 

ということは実の祖母は?と聞いたら、

父が生まれてまもなく、精神を病んで病院に入っていたらしい。

父は物心ついた時には母の愛を知らずに育った。

それが原因で愛を知らない青年は、女から女を渡り歩く男になったのかもしれない。

 

父と母が結婚してしばらくして(父方の)実母が亡くなったことで

結婚前に知らなかった家族構成が明らかになったようだ。

私は祖母が精神を病んでしまった理由を知りたかった。

そうならざるを得なかった理由があるはずだから。

もしかして私が尊敬してやまない祖母(後妻)が略奪したとか?

祖父のモラハラが原因?

戦争のトラウマ?

なぜ?何故?

 

私も病院に行けば何らかの病名がつくだろう。

私は他人事に思えなかった。

一人の女性としてどのような人生を歩んできたのか興味があった。

だから私は母に病気の原因を知っているか尋ねてみたが、母はそのことを知りたいとも

知ろうとも思なかった様子で

「そんなこと知っていたら結婚なんてしてなかったわ」と父を責めたらしい。

母の気持ちをわからなくはないが本心をそのまま父に伝えた母。

「なんで思ったまま言ったん?思ったまま言ったらあかんやろ。物の言い方!

と言ったが

「なんで正直に言ったらあかんの!」と悪びれる様子もない。

人の気持ちより自分の気持ち。実に母らしい。

裏を返せばありのままの父を受け入れるだけの器は備わっていなかったこと。

母はいつも完成品が欲しがる(大体人を妬んだり拗らせている女は完成品を欲しがる)

 

父はそれを聞いて、ありのままの自分を受け入れてもらえない虚しさといったら…

哀れに思う。

日々の暮らしの中で、母親がいる友達をうらやましがっては

母のいないさみしさをじっとこらえていただろう少年時代。

母親に聞いてもらいたい出来事、母親の腕の中で抱きしめられたい

ハグされたいと幾度となく思っただろう。

空想の世界の母親は美しく、あたたかく、存在そのものをまるごと

一心に受け止めてくれる大地のような存在。

母性を求める幼い父の姿を思うと不憫に思う。

母親の愛情で心を満たせなかった父は、複数の女の人とつきあうことで満たされていたのかもしれない。

一休さんのエンディングテーマの母上さまと父が重なってしまう。

私は私で幼い頃、本当の母は別にいると思うことで心の平衡を保っていて

一休さんのエンディングテーマが流れるたびに

「母上様~」と空想にふけっていた。

だから父もきっと幼い頃、母のことを美化しては空想することでさみしさを埋めていたのかな、と。

父もかわいそうな人なのだ。

 

ありのままの自分を受け入れてもらえる人探し。

それは外に癒しを求めることに繋がった。

父自身が大人になりきれてない。

終えてない子ども時代、その子ども時代に積み残した傷ついた自分と

向き合えてなかったし、

ひとりの大人になりきれてなかったし、

ひとりの人間にもなれてない段階で家庭を持って、父になり、

父なりにいい夫、いい父になろうとしたけど

結果大人にも人間にもなれてない人の、築いた家族の「一結果論」に過ぎない。

 

それは金型に傷がついていて

それを使って作られた製品には全て傷がつくようなもの。

傷ついた父親は元々愛が不足していた。

母は愛を与えられる人ではなく、テイカー。

その不完全さに加え、子どもは親から受けた言葉の暴力、体罰でさらに無数の傷がつけられた。

恋愛や(私が築いた)家庭、仕事など外側から見れば一見満たされているように見える私ではあるが、愛を知らずに育ったから人を信じることができず、人は身勝手で怖い存在だと思ってしまう、一生埋まることのない傷が私には無数にある。

 

母は娘を運命共同体にさせたい

…前回のつづき

自由になりたい。

なにも後ろめたいことないのにコソコソ暮らすのに限界を感じた。

20代らしいごくごく普通の生活がしたい。

母の支配、監視から逃れる方法はないか。

私が幸せになる方法、それは母から離れることしかない。

どうしたら離れられるか?

どうしたら離れてくれるのだろうか?

 

母には趣味がなかった。

よく子どもがいるから好きなことができないと子どものせいにしていたけど

スポーツが好きというわけでもなく、手先が器用なわけでもなく、

母の生きる楽しみについて検証したが、本当に思いつかなかった。

 

両親が離婚したのは私が11歳の年末だった。

私が10歳前後の頃から父は家にほとんど帰ってこなくなり、不倫相手のところに入り浸っていた。

私が物心ついた時から両親は罵り合い、ワレモノを投げつける激しい喧嘩を

夜な夜な感情を剝き出しになって大声で言い争う喧嘩が本当に怖かった。

かといって静まり返るとそれはそれでこわかった。

どちらかが感情的になってアヤメテしまったのではないかと心配になり、

恐る恐る居間をのぞきに行ったのも一度や二度ではない。

おちおち寝てられない、聞きたくもないのに聞かされる激しい夫婦喧嘩。

今から思えば、こんな激しい喧嘩をしておいて10年以上夫婦のカタチ(戸籍上)続いたことが反対にすごいと思う。

 

当然のことながら母は父のことで嘆き、自分の人生は失敗だった、

私の人生はこんなはずじゃなかった、

お前がいなければとっくに別れていたと聞かされていた。

子どものせいにされるとぐうの音も出ない。

かといって、母自身、事の重大性に気づいてなにか変えようと模索して

何か行動を起こすわけでもなく、他責思考でまわりの人のせいにしては

同じ嘆きを繰り返してきた。

その癖、子どもの時に通用した方法でまわりをコントロールしようとする。

感情をむき出しにして相手を振り向かせようと試みるも同じ手口には誰も乗らない。

相手の心はますます離れてしまい、コントロールも失敗に終える。

(神に祈れば夫婦関係が改善され、幸せになれると信じJWに入信するキッカケになる)

 

たまにふらっと家に帰って来た父は離婚の話しをする。

不倫相手のお腹には命が宿っていて、父は急いで離婚をしたかったのだろう。

売り言葉に買い言葉で感情に任せて勢いで母は離婚届けに記入したのか

真相はわからない。

 

年の暮れの夜に、母方の祖母宅に、父が離婚届けを持って突然訪れ

母とは話はついてるといって、父は祖母に証人欄のところに署名捺印を求めた。

前から離婚の話しは出ていたので何の疑問を持たずに

はい、はい。と署名した祖母。

翌日市役所で受理され、離婚が成立。

年明けて結婚届けを提出し、数日後に父と不倫相手との間に子どもが誕生した。

私は神に両親が仲良くなれるように祈ったけど、祈れば祈るほど夫婦仲が悪化し

修復不可能になっていった。

離婚と聞いた時は11年生きてきた中でこれほど大きな衝撃はなかった。

神様にお祈りして救いを求めたのになぜ?

この時に神様なんていないと確信したのと同時に矛盾しているが

なぜかホっとした記憶がある。これで不毛な諍いを聞かなくて済む。

先の見えぬ不安もあったが

これで両親のことで気をもまないで済む。

夜な夜な繰り広げられる夫婦喧嘩は恐怖でしかなかったから

これでやっと終わる…と安堵した記憶がある。

 

寒さが身にしみるある日、母から事情を聞かされぬまま連れて行かれた場所、

恐らく家庭裁判所なのだろう。

長テーブルに腰をかけた年増しの男性が5名ほどいただろうか。

今思えば、離婚受理不服申し立てをしに行ったのだろうと思う。

会議室で母は男性たちに感情をむき出しに泣きわめいて抗議していた。

男性たちは顔色ひとつ変えずに、至って冷静に、それが冷酷にも見えたが

法律を盾にされると完全なる負け試合。異議申し立てができない様子だった。

仮に父が代筆していたのならば、話が違うが

法律を盾にできなかったということは離婚届けの記入欄は母の直筆だったのだろう。

もし母が言っているように、代筆であったのなら命がけで抗議できるのではないだろうか。

それをのちに家庭裁判所のせい、祖母のせいにするのは母の悪いクセなのかもしれない。

みんなの同情を得るために言ってたのではないか?

真相はふたりにしかわからないが。

 

感情のまま発言することは危険な行為。

感情的になりそうな場面こそ冷静に、言葉を選ばなければいけないこと、

慎重に行動しないといけないこと、

言葉には責任が伴うことを目のあたりにした。

 

裁判所を後にして、母は私にこう言った。

家庭裁判所の会議室の外に座っていた女の人おったやろ。

あれが新しいお父さんの奥さんやで。

お父さんはあんたを捨てたんや。あんたがかわいくないんやで。

あの人にお父さんを取られたんやで」

とわざわざ負の感情を擦りつけてきた。

親から愛されなかったという傷ついた思い

自己否定に囚われの身になり、嘆き悲しみ、悔いさせて

娘を思うまま操り、運命共同体に仕立てたいのだろうか。

母は娘が同じ価値観を持って育つことを望む。

そして母と同じ不幸の場所にとどまっていることを望む。

そうすることによって母は「自分は間違っていないんだ」という

答え合わせをしたかったのではないだろうか。

 

裁判所を後にして、母と心斎橋・難波の商店街を歩きながら帰った。

私は母が感情的で、すべて自分の思い通りにならないと気がすまないタイプに対して

新しい奥さんは母とは正反対で、口ごたえをしなさそうな、地味で根暗な女だったなぁ

父は父で相当疲れたんやろうなぁと子どもながらに考察していると、母はふいに呉服屋に入った。

そして着物を2枚、パッと大人買いしたことを覚えている。

母が女ひとりで生きていく覚悟のあらわれだったのだろうか?

女手ひとつで3人育てていかなければならない。となると

普通の感性ならお金の工面が心配になるはずだ。

 

成人式の着物のレンタルで30万円以上していた時代に、

着物は贅沢品と言われた時代に

新品の着物は一体いくらだったのだろうか?

「着物2枚」をなんの迷いもなく買った母。

日ごろはドケチでお金を使いたがらないだけにその光景は異様に映った。

まぁ、よく2着目スーツ半額!とあるように

着物も2枚目半額だったのかもしれないが

それでも安い買い物ではないはず。

JWでは質素を美徳とし、結婚式、祝典はタブーとされる宗教で

着物なんて着る機会なんて、ほぼ皆無と思ってもいい。

なのになぜ着物?

 

その時の衝撃的な記憶が鮮明に残っていて

唯一、母の興味のあるものを思い出した。

母は着物が好きだったなぁ。

そうだ!着付け教室を申し込むのはどうだろうか。

そこで友達もできるかもしれない。

新たな生きがいができるかもしれない。

我ながらこのアイデアに拍手喝采、成功の手ごたえさえ感じていた。

 

私はさっそく着付け教室を申し込んだ。

きっとはじめはひとりでは行きたくないと駄々をこねるだろう。

そんな臆病者の母のために、初回は私も同伴しよう。

きっとうまくいく。そう信じて。

 

…つづく

母がしんどい

前回のつづき。映画の件は難を免れたけど、別の日にとんでもない「行動に出た母」の話しです。

 

さかのぼること小中校生時代のこと。

当時、プッシュ式電話が流行り出した時代に

我が家はまだダイヤル式の固定電話で、居間に電話があった。

私にかかってきた電話はすべて把握していないと気が済まない母。

何を話していいるかを逐一聞き耳をたてる。

食事中なら「わざわざ箸を置いて」

「咀嚼も止めて」

弟たちにも静かにするように口元に人差し指を立てて

「シィー」という合図を送る。

料理中なら「わざわざ火を止め、わざと近くまで来て」

電話の内容を聞き耳たてるような母だった。

 

友達の話しなんて半分しか頭に入ってこない。そりゃそうでしょ。

こんな状況で集中して聞けるわけがない。

でも友達に母親に横で聞かれてるとも言えない。

そんなこと言ったら「過保護」と言われバカにされるし、友達を失うリスクもある。

恋の話をしたい友達に、母に話の内容がバレないように、目を白黒させながら

この危機的上をどうやって誤魔化すか必死に考える。

返事も不自然になってしまう。

そうこうしているうちに横から大声で

「そんなしょうむない電話やったらさっさと切り!」と

怒鳴るのも時間の問題で、全く話に集中できなかった。

下手すりゃ、電話のコードを引っこ抜いて、電話機まで没収・隠される。

 

高校生の時のバイト代(2/3)は、他の記事にも書いているが母から搾取され

残金(1/3)で授業料、残ったわずかのお金を

細々と貯めて買ったコードレス電話。

これでようやく聞き耳立てられずに安心して電話で話せると思ったのも束の間。

安い電話しか買えなかったため、親機から盗み聞きできるではないか。

安い電話だから親機から盗み聞きを防止できる機能がない。

ダイヤル式電話の時より状況が悪化してしまう。

話の内容が筒抜け。

今まで以上にプライバシーが侵害されるという思ってもみない方向に向かってしまった。

 

友達は盗み聞きされていることに気づいてなくても、

私は母が受話器を取った瞬間がわかるし、聞かれていることもわかる。

内容によっては、電話している横から

「しょうむない電話してくるな!」といって、元線を引っこ抜かれ、

強制終了することも多々あった。

 

母の盗み聞きの習慣は社会人になっても依然と続いた。

携帯電話を持つことが主流になってきたものの

その当時は電話代が高く、携帯電話の通話代は

6~8秒で30円の時代だったので

長電話になりそうな時や予定を決める時は携帯代が高くなるので、仲のいい友達なら家電(固定電話)で話すことが普通だった。

私からかけると電話代がかかるといってお金を請求されたり、途中で電話線を抜かれたり、切られたりする嫌がらせがあったので、友達からかけてもらうことが多かった。

その日も週末の予定を決めるのに友達と家電で電話をしていた時のこと。

週末は大阪に出かける予定を立ていた。

それを盗み聞きした母は

「ちょうどよかったわ。私もその日に大阪に行くことにしたから乗せて」

というではないか。

それが私の車なら、友達に事情を話して便乗してあげてもいいが、

(当時はけっこうな金額を搾取されていたので経済的にまだ車を買えなかった)

友達が車を出してくれて、迎えに来てもらう立場。

ましてや事情…電話を盗み聞きされて行き先がバレて…なんて言えない。

私の友達と母は、友達でもなんでもない。

二人の間に親密な関係性を築いてもいない。

 

だから私は

「それは困る」

「友達の車だから無理」と断固と拒否をしたものの、

「行く方向一緒やから別にかまへんやろ!」

「冷たい子やな。同じ方向やねんからええやろ」

「おばあちゃんもおるんやから、おばあちゃんがかわいそうと思わんのか」

と良心の呵責に苛ませるという切り口で攻めてくる。

 

拒否をしても迎えに来る時間を知っている母は身支度をして迎えにきた車に強引に乗り込むという手段に出た。

 

あの時の友達のひいた顔は忘れられない。

車内の凍り付いた空気。ただならぬ雰囲気も忘れられない。

 

母がなんで大阪に行ったのかも今でもちゃんと覚えている。

百貨店に友の会というのがあって、今はもうないサービスになるが

毎月千円ずつ積み立てれば1年後、千円のボーナス付く。

つまり1年間で12,000円積み立てたら、

1,000円×商品券13枚=13,000円の商品券になって返って来る。

銀行に預けるよりお得というサービス。

ひとり、毎月千円から最高一万円まで積み立てられる。

それを毎月支払うことも、まとめて全額支払うこともできた。

ただし、その百貨店でしか使えない。

一番安い物、100円の物とか買って

その商品券で支払えばお釣りは

現金で返ってくるからお得だと母は熱弁していたが

その使い方に品がないし、

がめついし、その発想がオバタリアン(死語)

私はかなりひいていた。

自分の分だけならまだしも、祖母の顔を借りてまで…。

それが今回の便乗事件につながる。

私が大阪に行くのを盗み聞きして、大阪の百貨店に行くことをひらめいたらしい。

 

せめて、車に降りるときに

「ありがとう。寒さをしのげて助かったわ。このお金で夜ご飯でも食べて」

とお金を出してくれるのなら、まだしも

目的地近くになって

「あ、ここらへんでいいわ」と渋滞している中、途中で降りて行った。

母は「ありがとう」と言ったかもしれないが

母の厚かましい態度から真摯な感謝の気持ちは

わたしたちには伝わらなかった。

母にとっては私の友達も「私同様」、利用できるものは利用するという感覚。

寒さをしのげてラッキー。

バス、電車代、地下鉄代、2人分、

3000円位浮いたわ!くらいな感覚なのだ。

行くのはタダではない。

友達の運転という労力と、高速代、ガソリン代、駐車場代などかかる。

車を出してもらった時は、かかった費用を割り勘にしていたけども、

今回は私の母と祖母まで乗せてもらった以上、割り勘だけで済まないのは当然のこと。

どんなに親しき仲でも、礼儀と気遣いは必要だと思っている。

 

こういうことをしたら娘に恥をかかせるとか、全くない。

相手の気持ちを想像すること、人の気持ちを汲み取ることができない。

 

本気でこの人を私の人生から切り離さないと

私の人生も、私の精神もおかしくなる。

一生母の支配下の元、年を取っていくなんて…想像するだけで吐きそうだ。

今回の一件でますます私生活に足を踏み入れてこようとする”前兆”のような気がして

打開策を考えないと…。と真剣に頭を悩ませた。

今、母の矢印の向き(⇒)は 「私」に向いている。

この矢印の向きを私ではない、何かに変えられないだろうか?

母には友達がいない。

母に友達ができれば矢印の向きが

私から友達に変わるかもしれない。

母に友達を作ってあげるとしたらどうしたらいいか?

 

私たち親子関係は逆転していた。

 

友達もいない、お酒も飲まない、趣味もない母。

強いて言うなら趣味は私を監視すること。

母に趣味仲間ができたら、母の行動が異常だと注意してくれるかもしれない。

 

私は母の親代わりになって、どうしたら母に友達が作れるか、真剣に考えた。

 

その件は、また別の記事で。

 

*********************

ブログを立ち上げた当初はもっとスラスラと書けると思っていたのに

いざ書き出すと思ったように進まない。

何故だろうとずっと疑問に思っていたのだけど

物心ついた時から母は私の話しに耳を傾けてくれたことがなかった。

私は自分の気持ちを素直に言う機会が今までなかったのだ。

私の一番最初の記憶が、私が2歳か3歳の時で

母は弟のオムツを変えていた。

コンロに火をかけていて、それがグツグツと煮えくりかえっていたので、母にそれを知らせないと…でもオムツ変えてる時に声をかけたら怒られそうだし、でも火が気になる。

タイミングを間違えばヒステリックに怒鳴り散らされる。でも火が気になって、これは伝えないとと思って空気を読んで恐る恐る声をかけた。でも普段から話すことが許されていないから、うまく伝えられない。

言語化できなくてうまく言葉にならない

2、3歳ってこれが普通なのかもしれない。

案の定、「今忙しくしてるの見たらわかるやろ!」とヒステリックに怒られる。

なんで怒られたか、子どもなりに答え合わせをする。

そっか。忙しい時はいかなる場面でも声をかけてはいけない。次から気をつけようと自分を納得させる。だってまた怒られたくないから。

あやよあらよという間に、鍋から煙が出て、

真っ黒コゲになると今度は

「なんで煙が出てるのに気づかへんの!」

「あんたが邪魔したからこうなった」

とヒステリックに怒られたというのが、私の最初の記憶。

矛盾した2つの行動をダブルバインドといって

子どもは混乱するんですね。

 

厳選したタイミングで声をかけても

「うるさい」と拒否をされ続け、

宗教にはまってからは、母の望む答えを返せなかったならムチで叩かれる。

そんな恐怖体験から、失言して叩かれるくらいなら、余計なことは極力言わないようにしよう。となる。

聞かれたことを答える時は、母の望む答えでなかったら容赦なく叩かれるという恐怖の元で、失敗は許されない。謝っても許してもらえずムチで叩かれるとなると毎日生きてきた心地がしない。

余計なことを言わない習慣が身についてしまい、自分のことを話せなくなってしまった。

大人になってからも私が話している最中に、

話の行間でもないタイミングで

全く違う話をぶちこんでくる母。

一通り話し終えた後に、

「ごめんごめん、さっきの話の続きは?」とは

ならない。はなから聞いてないから。

自分の話は聞いて聞いての母なのに

私の話は聞いてもらったことがない。

 

時々、なんで話してくれへんかったん?って聞かれるけど

話そうとしても話し聞かず、自分の話を始めたのは母でしょ?となる。

話す習慣がなかったからどうやって話せばいいのかいまだにわからない。

心のうちを話すこと、本心をさらけ出すということができない。

話すこと事態、子どもの頃の私にとっては命懸けの行為だったから。

今でも自分に話をふられると緊張する。

自分の思ってることでなければ自然と話せる。

例えば、仕事のことなら問題なくできる。

何百人もいる前で朝礼や司会をしたり、スピーチすることも平気なのに。

本心や意見を求められるような場面になるとただならぬ緊張感に包まれる。

話の中心になることが大の苦手だ。

話を聞いてもらうことに慣れてない。

人から注目されることに慣れていない。

ここに終えていない親子関係の課題がある。

threadのように、不特定多数の人の目にとまることも望んでいない。

というより、threadなどSNSで私のことを知らない人にさえ

自分の気持ちを表に出せないほど重症化している。

子どもの頃の恐怖体験から無意識のうちに感情を表に出すのが怖いという心理が働いてしまい、うまく感情を表に出せなくなってしまった。

 

幼い子どもの時に常にいい子でいること、我慢を強いられ、大人のように振る舞うことを求められた結果、

我慢している感覚さえも麻痺して

我慢していることにも気づかなくなっていって

弱みをさらけ出せなくて

子どもらしさを我慢し、蓋をしてきた結果、

40代になってからバグってしまった。

子ども時代に子どもらしく生きれなかった分、早くに成熟せざるを得ない状況だったなら子どもの頃は

「言うことがオバサンみたい」と茶化されていた私も

今は大人の姿をしただけの「子ども」である。

無理に大人を演じてきて、ずっと感情が抑圧された状態で年を重ね、

今になってあの時の子どもの私が顔を出し、

子どもの時の我慢していた気持ちがあふれて

私を支配し、拗らせている。

まるで子どもに戻ったように。

過去のツライ出来事と対峙することは、時に暴力的で痛みが伴う。

 

書き続けられるか分からないけど

読んでも面白くも楽しくないブログを

読みにくい文章にもかかわらず

最後まで読んでいただきありがとうございました。

母が重い

宗教からはじき出された母は、私にますます依存的になっていった。

当時40代半ばくらいの年齢だったと思う。

その年齢ですでに老後の面倒を私に見させようと

言葉なんてなんの保証にもならないのに「守るから」「面倒見るから」

その言葉が欲しいのが見え見えで、わざわざ無理矢理言わせた言葉なんて

うれしいのだろうか?と首を傾げたくなるが、

それでも頻繁に確かめてくるようになった。

私は私で、先のことなんてわからない。

将来の約束なんてできない。

何十年も先のことを想像するよりも

もっと手前の、近い将来の心配をしたい。

私が生涯の伴侶に出会えるか?

そっちの心配をしたいところだ。

 

バカ正直にもほどがあるが

嘘をついてまで「守る」とか「一生面倒見る」なんて言えなかった。

そんなことより、母には一日も長く、子供に頼らずに生きようという強い気概や意思を待って欲しかった。

この人のために人肌脱ぎたいと思わせるような、守ってあげたいと思わせるような人柄になろうと努力もしないで

ただのクレクレおばさん。

子供に迷惑かけないために、自分でなんとかしようと

思わないのかと心底あきれた。

 

言葉の端々に老後の面倒を私に見させようという魂胆が見え見えで

ことあるごとに

「老後は私の面倒見てなぁ」

「ずっと一緒に住んでくれる?」

   (いやいや、長男がおるやろ)

「お父さんに捨てられて、片親であんたらを必死に育てたかわいそうなお母さんのことを大切にして」

と安心が欲しいがためだけに

言葉で安心させてとおねだりしてくる。

必死に育ててもらった記憶はないのだが…。

(金銭的負担はこっちがしてたし)

 

まだ老後のことを考えるにしても早すぎる年齢ではないか。

それより、なにか没頭できる趣味とか

私ではない誰か友達をみつけてくれる方が

よっぽどありがたいのだが…。

できれば彼氏を見つけて欲しいけど、この性格では難しいか。

趣味もなければ、でかけることもしないので

輪が広がることはなさそうだ。

 

今この時点で老後の安心を確保しようとする母。

私の将来の心配より自分の心配が先に立つ母。

 

この人と永遠に離れられないかもしれないと想像するだけでゾっとした。

それは私の自由恋愛も阻止され、結婚もできず、

この母と人生を歩むなんて…想像しただけで未来が暗すぎる。

 

私が友達と出かけるにしても一緒に行きたがるようになっていった。

 

仕事から家に帰るのに、どこかに寄り道して帰る分には

遅かったことをなじられるけど、まぁ聞き流せばいい。

一旦家に帰ってから出かけるとなると、

誰とどこに行くか、潔白を証明して、安心させないといけないから面倒だった。

それで終わればいいが、その頃から友達と出かけるのに

「私も行きたい」と言い出すようになった。

私の外の交流まで足を踏み入れるような素振りを見せ出したので、これはいよいよヤバイなぁと思った。

 

ある日の週末、友達と話題の映画(ナイトショー)を見に行く約束をした。

夜9時以降は1000円で見れた。

当時はまだSNSが普及しておらず、娯楽も少なく、

カラオケ、ボーリング、映画くらいしか娯楽がなかった。

 

友達は小学校からの友達だから、やましいことはないので堂々と言える。

この友達ならOKサイン出るだろうと思った。

 

しかし、想定外の答えが返って来た。

「私もその映画をちょうど見たかったとこやから、私も一緒に行く!」と言い出すのだ。

いやいやいや、これはマズイ。

これを1回でも許してしまえば、私の外の世界に

”常に”

母がいることになる。

私のパーソナルスペースに土足で踏み入れられることを許してはならん。

これはマズイ。

阻止せねばならん。

 

私は母と一緒にいることが苦痛なのだ。

母といると我慢を強いられる。

友達も母と一緒にいても面白くもないし、

無駄に気をつかうし、楽しいわけがない。

 

当時はまだインターネットから席を予約できる時代ではなく

受付に行ってチケットを買って、早い者勝ちで席に着くスタイルだったので

友達には急にお腹の調子が悪くなって行けなくなったと嘘をつき

なんとか阻止した。

 

母は私のことなんて、自分の欲望や欲求を満たしてもらうための

ツールとしか見てない人だから、とことん利用してやろうくらいしか思ってない。

私を満たして。

私を喜ばせて。

私のご機嫌をとって。

 

自分で自分を満たすことをせずに

他人に満たしてもらおうとする。

(他人といっても身内の私)

自分の機嫌を自分で取ろうとせず

他人に機嫌を取ってもらおうとする。

(繰り返しますが、他人といっても身内の私)

クレクレ病、他人に対して過剰な期待をする人。

(繰り返しますが、他人といっても身内の私。父もさっさと逃げたし、弟も私を生贄にして自由を謳歌している)

 

重い。

重い。

もたれかかられ過ぎてしんどい。

 

映画の件は難を免れたけど、後日とんでない事件が起こる。

母は私のことなんて、自分の欲望や欲求を満たしてもらうためのツールとしか見てない。

それが私の友達まで「自分の欲望や欲求を満たすためのツール」にしたのだ。

この件は後日に。

 

金銭的搾取だけにとどまらず、精神的搾取。

母が歩いた歩いた後は、ペンペン草も生えない。

自己中心的でわがままで、人の意見なんて聞く気なんてさらさらない。

人の気持ちに立つことができない。

自分、自分、自分。自分ばかり主張する。

母は子どもを育てる過程で忍耐や我慢することをすっ飛ばしてきたし

友達もいないから、人で研磨されてこなかった分、

年をとっただけの、言い出したら絶対「折れない」わがままオバサンになってしまった。

パーソナルスペースがバグっていいる母についてはネタが尽きない。