ある家族のノンフィクション手記

親兄弟は選べない。家族という病

★お金を貸す時は返って来ないと思え?

夏休みにパチンコ屋で働いたことがある。

高校3年の秋には授業が終わってから教習所に通いたかったので

夏休み中に今後の授業料をまとめて稼ぐ必要があった。

 

求人を見てるとパチンコ屋は時給がいいというイメージがあった。

友達とノリで「アルバイトできますか?」とアポなしで訪ねたことがきっかけだ。

高校生だから断られるだろうと思っていたらまさかの採用。

夏休みの2ヶ月限定で短期間だけ働くことになった。

朝番と遅番の二部制の交代制で、友達が朝番なら、私は遅番と、ふたりが一緒にならないシフトが組まれ、友達と同じ時間帯で働くことはなかった。

時効だから言えるけど、高校生は労働基準法に則ると22時までしか働けないが閉店の23時まで働いた。

学校の先生も何人かパチンコしに来た。

パチンコ屋で先生と鉢合わせになった瞬間、

「あ…謹慎か退学。終わった」と顔面蒼白になったが

「どの台が出るん?」と冗談を言いながら”生活のためにバイトしているなら”と割と寛大に目をつぶってくれた。

 

私も訳アリの家庭で育った人間だけど、そこで働く人たちも相当訳ありだった。

借金をして夜逃げして来た人、駆け落ちした人、”お勤め”から出てきた人…様々。

パチンコ屋の上に寮が完備され、エアコン・TV・賄い(昼夜食事付き)なので荷物ひとつですぐに生活がはじめられ、衣食住が確保されるから、流れ者が行きつくにはもってこいの場所だったのです(当時は…)

 

冷房完備で賄付き、今までしたバイトの中で一番快適な環境だった。

様々なバイトをしてきたが、”暑い、寒い、きつい”がつきものだったから

家にいるより涼しくて快適だった。

 

換金所で働いていた女性がいて、母と同じくらいの年齢。

一回りほど年下の旦那と駆け落ちしたという。

旦那さんは換金所の責任者、奥さんが換金所の窓口をしていた。

私と歳の近い息子がいて、元旦那のところに置いてきたという。

 

換金所は5畳くらいの小さな部屋で、奥さんは特殊景品を受け取って、換金する。

私はその特殊景品 ”積み木” ”レゴ” のようなものを整理する単純作業。

おしゃべりしながら仕事ができた。奥さんと話すこの時間が楽しかった。

息子と歳が近いから息子のことを思い出すわ。

年頃の子は何に興味があって、何をして遊んでるのか、興味があるから話を聞かせてと

目を輝かせながら言ってもらえると、私は受け入れてもらえているんだ。

私に興味を持ってくれているんだ。好いてくれてるのがわかってうれしかった。

年の離れた友達ができたと舞い上がっていた。

母とは違い、理解があり、聞き上手で、私を肯定してくれる。

母には本心を言えない。

母に何かにつけて邪魔をされる環境にいたので

何を考えているのか悟られないように言動をコントロールしなければいけない不自由な環境にいたから

心が許せて、本音で話せる”大人”が目の前にいることが単純にうれしかった。

私は人生で初めて”自慢できる年の差の友達”ができたと喜んでいた。

 

二人の関係性ができあがった頃に、奥さんは私に身の上の相談をした。

バイトも終わりに近づいた8月の終わりだったと思う。

旦那さんがお金を管理している。

生活費・給料も全て旦那さんが管理している。

今月はまだ生活費をもらえてない。

忙しそうでお金の話ができる状況でないこと。

だから今使えるお金がないこと。

でも来月息子の誕生日だから誕生日プレゼントを買ってあげたいけど

旦那さんには口が裂けても息子の話題ができないこと。

こんな不甲斐ない母親だけど息子は成人という節目だし、

母親らしいことをしてあげたいと思ってること。

でもこんなこと誰にも相談できないけど、あなたには自然と何でも話せる。

親子ほど離れているあなたに相談するなんて惨めなのを承知でお願いするんだけど

来週に必ず返すからちょっと貸してほしいというような内容だった。

 

一瞬怯んだ。

「お金を貸す時は返って来ないと思え」

奥さんのことを信じ切っていた私は、いい人だし、必ず返してくれると信じていたし、信じたかった。なにより二人の関係性を信じて疑わなかった。純粋に助けてあげたいと思った。

 

世間知らずな私は貸すことにした。

「本当にありがとう。必ず返すからね!」

と笑顔で別れた。

そして約束の2週間後、喫茶店で会った。二学期も始まり、バイトも辞めていた。

たわいもない世間話をして、軽食を食べ終わった頃に

「約束のお金が返せない状況になった。

社長(旦那)が資金繰りに困ってて、機嫌が悪くて今お金の話ができない状況なの。

本当にごめんね。今月の生活費ももらえる状況じゃないの。

このことは他の人に内緒ね。資金繰りに困ってることもね、

お金を扱う仕事してるから信用問題にかかわるから絶対言わないでね。

こんなこと言えるのあなたしかいないし。来週には必ず返せると思う」

胸騒ぎがし出した。

 

次の週も言い訳をする。

 

お金を貸す時は返ってこないと思えとはいうけど、お金がないと学費が払えない。

 

冷静に考えると私をハメるために、どういう戦略で攻めたらいいのかと、根掘り葉掘り私の話を聞いていたような気さえしてきた。

今までどんな話をしてきたか、思い出そうとしたけど思い出せない。

ただ、言えることは”人の話を興味深く聞いてくれ、受け入れてもらえたと舞い上がって、自分の話をしたという事実”だけで、何を話したのか覚えていない。どこまで話した?

貯金額聞かれたような気がする…。

初めから騙すつもりで近づいてきたのか?

話しているうちに魔が刺したのか?

その人の話しがどこまで本当の話なのか?

もしかしたら作り話なのかもしれない。

 

泣き寝入りできるほど、私は金銭的に余裕がなかった。

あと半年で卒業を控えているというのに、卒業できなければ意味がない。

 

悩んだ末に、内緒と言われていたけど一緒に働いていた友達に相談した。

友達は至って冷静だった。

人に簡単にお金を借りようとする人を信用してはいけない。

そういう人は見え透いた嘘をつく。

大体いい年して、高校生にお金を借りること事体おかしい。

金銭自己管理できてない人は何事にもだらしない。

 

次会う約束の時には友達もついてきてくれ、仲裁に入ってくれた。

奥さんはただならぬ空気を感じとって居づらそうだ。

高校生とは思えない正論をぶつけられ、ぐうの音も出ず、たじろいでいる。

親子ほど歳が離れている小娘に説教されて、メンツが立たない。

友達の説得のおかげで ”ないはずのお金” は返してもらえたのでした。

そして私が勝手に奥さんを親友だと思っていた"友情関係"も消えました。

 

親友には何度か助けられました。

冷静な判断と、はっきり言う物言いで、裏表がなく、頼れる友達です。

 

この奥さんの一件で、人にお金を貸してはいけないこと。

特に大親友には貸借りをしてはいけないこと。

人を簡単に信用してはいけないことを学んだのでした。

幸い高校生という低年齢でこの経験したおかげで社会に出てから

さらに注意深くなり、気さくに近づいてくる人に警戒心さえ覚えました。

日本人は、ある程度距離感を作って、初対面の人とゆっくり時間をかけて関係性を築く人種のように思います。

それをいきなり垣根を越えて、急接近してくるような相手だと

「この人は私の何を目的で近づいてきたのだろう?」と

冷めた目で見るようになってしまいましたが、いい抑止力になっています。

誰かに心を開くことは時としてリスクも伴います。

世の中には詐欺、MLM、ビジネス講座、マッチングアプリや出会いの場、あらゆるところにカモを探している人はわんさかいます。

怪しい人はその人だけ浮き出てみえるようになってきました。

 

あの経験があったから、自分の身を守れるようになったかと思うと

悪い経験も「気づき」を与えるための

私の目の前に起こった出来事だったと思えると

ネガティブな出来事でも感謝できたりします。

お金を稼ぎながら社会勉強までして、こうやってネタにできるのですから。

しかもこの経験を高校生でし、お金も戻って来て、損はしていません。

 

どういう職場で働くか、どういう人間と関わるかで、危険な目に遭遇する確率が高くなったり、自分の考え方・価値観まで変わってしまうことを身をもって知り、この業界で働くのは最後にしようと思ったのでした。

 

母もそうですが、頼れる大人がいない。そう思った10代でしたが

頼れる人、何とかしてくれる人がいなくて、そういう環境だったから

自分でなんでもやるしかなかった。

心許せる人がいないことは寂しいことかもしませんが、人に依存せず、期待せず、なんでも自分でやってしまう性格は、結果的に、気つけばひとりでも生きていける力と経済力をつけたとも言い換えれます。

 

人間は平等に老います。

若い時は誰かに依存するのもかわいいでしょうし、美貌だけでなんとか渡っていけたとしても

次の世代に若くてかわいい子が控えていますので、いつまでも”若い""かわいい"武器は使えません。

氷河期という恵まれない時代でしたが、一人でなんとかやらなければいけない環境にいたからこそ、まわりの誰よりも経済力を身につけられたと思ってます。

 

ちなみに、パチンコ屋はさすがに怖かったのか、母はこの時だけ

給料を取りに来ませんでした(笑)

 

#2世の苦悩 #盗まれた幼少期   #カルト宗教 #カルト #宗教 #宗教2世 

#宗教二世 宗教二世問題 #JW #jwoig #exjw #エホバの証人 #毒親  #カルトの世界 #宗教中毒 #マインドコントロール #妄信 #洗脳 #カルト集団 #脱洗脳 #壊れた家族 #家庭内牢獄 #ママハラ  #子どもハラスメント #娘の人生乗っ取りマザー #自己愛パーソナリティ障害の母 #人格障害の母 #愛着障害の子ども #スキーマー #コントロールマザー #母親がしんどい #母がしんどい #母親が重い #母が重い #母という呪縛 #娘という牢獄 #教育虐待 #家庭内暴力 

身内の裏切り、人を信じられなくなった出来事

当時はまだインターネットなど普及しておらず、求人の媒体は学校の斡旋、ハローワークが主流だった時代。

今のようにインターネットやSNSで情報を得ることができたら、リゾートバイトで難儀な母親から離れる術を得たかもしれない。

時代はそこまで追いついていなかったので仕方がない。

母と揉めながらも、なんとか就職先が決まり、3月21日から就職することになった。

私が住む地域は車社会で、1人1台ないと生活できない環境だったし、就職先も駅から遠く、車がないと不便な場所だったため、就職前の、学生のうちに免許を取りに行く必要があった。

 

バイト代の2/3は家に入れていて、教習所代として出すという約束だったので母を連れて教習所に申し込みに行った。

ところが翌月から、見覚えのない金額が引かれている。

問い合わせるとローン代という。

母はローン用紙に私の口座番号を書いたのだ。

話しが違う。

確かにバイト代の一部、2/3を家に入れていたが、それは教習所代に貯めておくと言っていたはずだ。

残りの1/3で学費を払っていた。学費を払うだけで精一杯。

 

それを母に問い詰めると

「気が変わった」

その一言。

「それが嫌なら学校辞めれば?嫌なら免許取らんかったらいい」と言ってくる。

あと数か月すれば卒業できるという段階で

私が学校を辞めないことをわかっていての嫌がらせ。

「親を助けるのは当たり前のことや。なんであんたの教習所代なんて払わんなあかんの?あれはあんたが家に入れるべきお金や」

と癇癪を起す。

約束していた話と違う。

私 「学費だけで精一杯。私には払えるお金がない」

母 「あんたが就職するまで、4月から支払い開始するように手続きしてあげた

と恩着せがましく言ってくる。

当時はまだ金利が高く、4月までの延滞利息、延滞手数料と利息だけでも

月々5000円ほどの請求がきた。

 

就職先の給料は翌々月払いなので給料がでるのは5月。

となると、4月分のローン返済分も用意しなければならない。

学費だけで精一杯なのに、ローン代を払える財力も労力もなかった。

 

5000円働こうと思ったら7時間分相当の労働になる。

だが2/3母親に搾取されるので、単純に計算しても21時間/月 

追加で働かないと返せない。(給料日に給料を取りに来るような母親)

 

人に言えないことをしないと払えなかったということをお含み下さい。

その時の一件ほど母親をアヤめたいと思ったことはない。

 

欲しいもの、やりたいことを言えば、甘い言葉で期待させて、直前に裏切ることが続いた。

母親には欲しいものや、やりたいことを口にすると邪魔される。

その時はまだ病名こそわかっていなかったが

これが「自己愛パーソナリティ障害」「エゴイスト」の人格の一部なのだ。

 

欲しいもの、やりたいこと、楽しそうにするなどポジティブな反応を顔に出すと

全力で邪魔をしてくる。

だから母に悟られないようにすることも戦略として必要だった。

 

欲しいものを手に入れるためにありとあらゆる方法で言葉巧みに人を操り、人を利用する。

自分の要求が通るまで言い続ける。

罪悪感を植え付けるため、言いがかりしてきたり、責任転嫁してきたり、怒鳴って暴言を吐く。

エネルギーを吸いるエネルギーバンパイヤーなんですよね。

信じられないかもしれませんが、この病は娘を「女」として競ってくるからめんどくさい。

常に自分が優位でないと気が済まない。

だから私は不幸という顔しとかないと、いけない。

その方が喜ぶ。

裏切ることも、約束を破ることも、罪悪感がない。

娘が苦しんでる姿が快感。自分より幸せそうにしてることが許せない。

 

だから私がお金と自由を手に入れて、自分より自由になるのが許せない、そういう思考だから、ありとあらゆる方法を使って邪魔をして、不幸の道に道連れにしようとする。

 

もし身内に「自己愛パーソナリティ障害」「エゴイスト」がいて苦しんでいるなら

私からのアドバイス

遠くに引っ越すことを目標に計画を立ててください。

新幹線や飛行機でないと会えない距離がいい。

海外という方法もある。

そのくらい、離れないと難しい相手なのです。

詳しいことは別の機会に触れていきます。

 

 

#2世の苦悩 #盗まれた幼少期   #カルト宗教 #カルト #宗教 #宗教2世 

#宗教二世 宗教二世問題 #JW #jwoig #exjw #エホバの証人 #毒親  #カルトの世界 #宗教中毒 #マインドコントロール #妄信 #洗脳 #カルト集団 #脱洗脳 #壊れた家族 #家庭内牢獄 #ママハラ  #子どもハラスメント #娘の人生乗っ取りマザー #自己愛パーソナリティ障害の母 #人格障害の母 #愛着障害の子ども #スキーマー #コントロールマザー #母親がしんどい #母がしんどい #母親が重い #母が重い #母という呪縛 #娘という牢獄 #教育虐待 #家庭内暴力 

氷河期世代の宗教2世の就職活動

どうやって生きづらさから乗り越えられたか…の話しを進める前に

その過程に過去の出来事が結びついてくるので、再び過去に遡る。

 

高校3年生、就職活動の時期に戻る。

家庭の中では就職活動について相談できる大人がいない。

母は世界が終わる、終わりの日が近いと頭の中はそれだけに占拠されていて

私の将来を考える余裕なんてない。

当の本人でさえ、高卒の称号を欲しかっただけで将来について考える余裕もなければ、進路って何?という、そもそも社会の仕組みを全く知らなかった。

学費が払えるか、今期はお金がいくら足りないか?そんなことに躍起になっていて

目先のことだけで精一杯で、肝心の学業が疎かになっていた。

その上、将来のことも、”就職”の意味を知らなかった。

確かに中学入学すれば、教師は口々に先輩たちの過酷な受験戦争について語り、

高校入学すれば、先輩たちの過酷な就職難について語り、

お前らも覚悟しとけ!と言っていた。

 

団塊ジュニア世代。

上級生は特に人口ボリュームが大きく「第2ベビーブーム世代」と呼ばれ、

高校・大学受験も今よりも遥かに高倍率だった時代。

今では大学入学が当たり前の時代で想像もつかないと思うが、

当時は倍率は20倍以上、大学受験浪人もザラで多かった。

壮絶な受験戦争に始まり、就職難、出世競争と重要な局面で激しい競争にさらされてきた恵まれない世代。

就職は、東京や関西の大学に行かないと、まともな所が無いと言われた時代。

大卒でさえ就職率は約55%。大学を出ても2人に1人しか就職できなかった私の時代。

男性でさえ有名大学に出ていても就職できない時代。

就職氷河期の煽りを受け、高卒も同様に厳しかった。

一流企業の枠はまじめに学校生活を送り、検定試験を取得した子に、当然ながら優先的に斡旋された。

一流企業には、一社にたったの数名の内定にかかわらず、何百人という応募がある。

 

母は世の中がこんな状況になっていることを知らない。

というか知ろうとしない。

輝かしい楽園のことを考えていれば現実逃避できるのだから。

なにかうまくいかないことがあれば世が悪いと努力しないで責任転嫁して逃げればいいのだから。

 

就職活動ですら、高卒は未成年なので保護者の同意が必要で、それが厄介。

わかりますか?

話しの通じない人のフィルターが入るということが。

母親を通過しなければならない案件ほど、私からすれば

足を引っ張る母親の存在は、生きていく上で「邪魔」なのだ。

 

当時は美容院で働きながら技術を教わることができたので

金銭面で専門学校に通えない私には夢のような、希望に満ちた世界だった。

心を躍らせて求人票を家に持ってかえって見せるも、

「不良の行くとこや。なに考えてるの?受刑者が刑務所から出てきてやる仕事や」とか

「日曜日、集会に行けなくなる」←まだ私が戻ることを期待している

水を触るから”水商売”と一括りに嫌悪感を表す。

一体いつの時代の話をしているのだろうか?この人は…。

エホバの教えを守っていれば心が広いらしいが(←自称)

世間知らずで、差別に満ち、何もかも否定、母ほど心の狭い人は知らない。

器が小さくて、これが私の母親だと思うと嫌悪感に満ちる。

 

また求人さがし。

その間にどんどん求人が減っていく。

 

当時はまだ珍しいITやゲーム業界の求人票を持ち帰っても

頭のかたい母は、一括りにサタンと決めつけ

「絶対ダメ!!何考えてるの?ゲームなんてサタンの喜ぶこと!」となる。

どの求人もサタンになってしまう。

 

この母がいる限りは、”世の世界”で就職することは困難。

気が付けば季節が移ろい、私以外は就職または進学が決まっていた。

 

担任に就職しないと伝えると(この母がいる限り就職できない、という方が正しい)

就職難の中、就職率が高い”高校”であることを世間にアピールしたい学校側は数字にこだわる。

学校側は就職を決めずに卒業することはできないと葉っぱをかけてきた。

親の理解が難しいから就職するのは難しいことを伝えると、特別に母に学校に出向いてもらって求人票を見てもらって決める流れになった。

その時点で、ほとんど求人票は残っていなかった。

 

椅子取りゲームの椅子が足りなかった上に、このゲームに負けたのは私という図だった。

 

#2世の苦悩 #盗まれた幼少期   #カルト宗教 #カルト #宗教 #宗教2世 

#宗教二世 宗教二世問題 #JW #jwoig #exjw #エホバの証人 #毒親  #カルトの世界 #宗教中毒 #マインドコントロール #妄信 #洗脳 #カルト集団 #脱洗脳 #壊れた家族 #家庭内牢獄 #ママハラ  #子どもハラスメント #娘の人生乗っ取りマザー #自己愛パーソナリティ障害の母 #人格障害の母 #愛着障害の子ども #スキーマー #コントロールマザー #母親がしんどい #母がしんどい #母親が重い #母が重い #母という呪縛 #娘という牢獄 #教育虐待 #家庭内暴力 

★心理学 (アンチスピリチュアルな世界)

スピリチュアル、以下スピと略します。

スピと聞くと警戒してしまいます。

スピを全面的に否定をしてるわけではないんですが

使い方を間違えると危険だなぁと感じるんです。

 

これを言うと炎上しそうですけど

スピに傾倒しすぎる人は地に足をつけて生きる感覚がないように見えるんです。

なんだか地に足がついてない&宗教ぽくて…。

私にとっては注意ワードです。

 

スピに傾倒せず論理的な思考を持たないと

宗教に傾倒した母と同じように何かに依存して生きることになってしまう。

波動とか、そういう目に見えない世界のことに傾倒しすぎると

宗教ぽく見えませんか。

 

何事にも努力が必要で、努力・勉強・時間が足りなかったことが

原因であることが多いのに、”波動が一致しなかった”とか

”この道にいくなという思し召しね”とか

なにか自分の判断から逃げて、

判断をスピに依存しているように見えることがあって

なんでもかんでも”スピ”で物事を決定してるところを見ると

違和感を感じる時があるんです。

無意識レベルで自分で考えて判断することから逃げているというか。

日常の小さな問題をひとつずつ自分で考えて努力して答えを出す練習をしないと

現実逃避の繰り返しクセがつくととても危険に感じるのです。

小さな問題を見て見ぬふりして逃げた結果、

大きな問題として姿カタチを変えてドーンと降りかかる。

当然、小さな問題ですら逃げていたら

大きな問題なんて解決できない。

あの時の母のように。

 

母は反面教師になってくれたおかげで

私はそうならないように

道を間違えないように

母の姿を通して学んだ部分がある。

そういった意味では母に感謝している。

間違わないように道しるべしてくれたんだなぁと。

 

★心理カウンセリング へ行かなくてもできるセルフケア

炎上するかもしれない…テーマです。

これはあくまで私個人としての一意見であること、

人とは違う角度で物を見る、

人とは違う視点で考える人間であることをご理解ください。

 

心理カウンセラーに相談された経験がありますか?

私のように、宗教2世や毒親育ち、機能不全家族で育った人たちは

心のことについて興味を持っている方が多く、一通りの心理学の本を読んだり、YouTubeなどでも独学できるので、心理について追及している人が多いと思う。

そのせいか、宗教2世の若いカウンセラーもよく目にするようになってきましたね。

 

私がイメージするカウンセリング業務…

自己理解を深めるサポート、

誰かに話すことで頭を整理する手助け、

客観的な視点で認識のズレを修正する、

今現在の考え方に至ったルーツを辿り、根底にあるものをみつけ

考え方の置き換え作業をサポートする

 

自分ひとりで向き合うのにどうしても限界がある。

セルフケアができなくもないが遠回りすることもあり、

時には間違った方法を取ってしまったりしてとにかく時間がかかる。

私は子どもがいないので、いくらでも自分に時間が割けるけど

子どもを育てながら自分も立て直す作業は待ったなしの状況。

そういった意味ではカウンセラーに導いてもらうことによって

最短距離で考え方のクセ、軌道修正してもらうことは

メリットがあると思います。

 

ところが、こればかりは人 対 人なので”相性”がある。

 

*カウンセラー側の問題点

実績豊富で人気のカウンセラーだからといって必ずしも自分とあうとは限らない。

当たり外れがあるのは当然のことで、能力にも個人差がある。

 精神の成熟度はHPや投稿だけではわからない。

誰かが(ここではカウンセラー)自分の人生の責任を取ってくれるわけでもないし

ハズレを引いてしまってもそれを選んだ人の自己責任で片付けられる。

ただモヤモヤした気持ちとお金だけが消え、

よくなりたいと思ってカウンセリングを受けたものの

さらに心がボロボロになる人たちもいる。

人間の心理というのは複雑にできているのにもかかわらず

いとも簡単にカウンセラーと名乗れてしまうところが怖いところでもあると思います。

 

*クライアント側に問題があるケース

誰かの導きなしでは生きていけない

他人のアドバイスに依存する傾向がある

誰かに人生を変えてほしい!

誰かに私を支えてほしい!

誰か私を導いて〜!

他人依存の状態で感情のコントロールを他人に任せているうちは、

いつまで経ってもカウンセリングから抜け出せない

自分の人生を生きてない状況に陥ってしまう危険性があります。

本人がカウンセリングは人生・生活の一部と思っているなら別。

性被害など重たいテーマを抱えている場合は別。

 

自己肯定感(Self Esteem )を高めるためには

”自分で考える” ”自分で決める”クセをつけることも大切

 

最近Instagram、Tik Tok、YouTubeなどでよく目にする

心理カウンセラーやセラピスト、コーチング、

ヒーラー、ヒーリング、浄化、占い、引き寄せの法則

スピリチュアル(スピ)…といった ”心に興味を持つ”人 が爆発的に増えた背景があります。

※ ここでは便宜上、ひとまとめにカウンセラーと表記を統一します。

この業界はレッドオーシャン市場なんですよね。

誰でもわりと簡単に参入しやすい業界で需要も供給も多い。

 

できるだけ自分ひとりの力で解決したいところだけど

万一もし将来的に相談することがあるならば

私は医療関係の人に相談すると思う。

精神と肉体は一体になっていて密接にかかわっているから。

 

・心理学系の大学院を出た人が取得する「臨床心理士」、

・大学で心理学を含む必要な科目を履修し、指定された大学院に進んで修了するか

大学卒業後2年以上実務に就いた人が国家試験を受け、合格した人がなれる

公認心理師

 

私が長く鬱々していたのは病気が起因していたこともあります。

皮肉にも健康というのは失った時にはじめてありがたみを感じるんですね。

心と体、どちらの面でもアプローチが必要だなと思ったからです。

 

コロナ禍で時代の波・価値観がぐっと変わったこともあって

今までの常識を覆し、発想の転換期で

face to face だった診療が当然だった時代から

不可能またはタブーと思われていた「リモート」に変わったことにより

以前よりも気軽に、今まで視野に入れたこともなかった遠方のカウンセラー、

人気のある人からカウンセリングを受けれる時代・環境になって、急速にカウンセラーもクライアントも増えたように思います。

働き方や今までの常識をガラリと変わったのですから、やり方も時代に沿ってアップデート。本当に時代が変わったなぁとつくづく感じます。

 

とはいうものの、実は一度も相談したことがないんです。

人生の中で何度ももがき苦しんだ時期があったのにもかかわらず利用したことないんです。

前回はどうやって立ち直ったのか覚えてない。

自分と向き合った先に、”向き合わなければならない課題”がある。

20代、30代、40代、それぞれの人生のフェーズで人生の課題が目の前に現れる。

 

長く暗いトンネルの中にいた時は、出口までどのくらいなのか見当がつかず

誰かに相談したいと真剣に悩んだ時期もあるんですが

切羽詰まった段階で信頼できそうな人を探そうとして調べたものの

圧倒的な情報量とカウンセラーの数に気圧されて終わるんです。

しかも1回の料金が高い。

✖回数となれば、ハイブランドのカバンを買えそうな金額です。

元々面倒くさいことがキライな性格で門を叩くことなく終わりました。

 

しかし冷静になってふと考えるわけです。

高額な上に、何度も通わないといけない。

魔法のようにすぐによくなるわけでもなく

緩やかによくなっていくものならば

結局カウンセリング受けても、セルフケアにせよ

「自分と向き合う」のは避けて通れない道であり

過去のトラウマを克服しようと思うならば誰もが必ず通る道。

「内観」は避けて通れない。

思ってるほど簡単じゃない、一番しんどい部分。

心の深い部分の奥底を突くから、ずっと見て見ぬフリしてきた部分、

インナーチャイルドと向き合うから

つらくて当然、時間がかかって当たり前。

急に深いところに行けないようにできている…”自分の心”を守ってくれているから。

過去のトラウマや自分ととことん向き合うから

当然時間がかかるし、まるで自分を虐めてるみたいに拷問に感じる。

早く解決したいのにできない。

そりゃそうだ。抑圧してきた年数、何十年単位だったりするから

その抑圧してきた場所に向き合わなければならないから。

 

それなら人に頼るのではなく、自分自身を頼って

自分の心の中の3人(3本柱)で立て直した方がいい。

私が私を救えばいい。と思った。

唯一自分を救える方法は自分自身と繋がって

自分で自分を安心させること。

人生の課題から目を逸らさないこと。

今はツライけどきっと出口はもうすぐ。そう自分を励まして乗り切りました。

セルフケアなので失敗、回り道…しすぎました。その件については別記事で。

 

以前、知り合いに

「母から褒められたことがなく、ことあるごとに否定されて育ったから

自己肯定感が低い」

という話をしたことがあるのです。

仕事関係の人だったので深い話はしていません。

(宗教2世のことや、虐待があったこと)

 

その時に

「俺なんかさ、世間からいうと両親揃った”いわばまともな家族”に分類される家庭で

育って、親ガチャは成功していると思うけど、それでも自己肯定感は低いよ。

自信があるように振る舞ってるけど、実際自信なんて全然ないし。

だから毒親とかアダルトチルドレンとか生きづらさとか

そういって不安にさせて儲けようとする奴らを見たら”おい、騙されんなよ!”って思うわけ。玉石混交の世界だよ。

もったいないよ。なんでそんなに自信がないの?仕事はできるし、気遣えるし、臨機応変になんでもできるのに。大体完璧主義なんだよ。もっと肩の力を抜いてラクに生きた方がいいよ」

そう励ましてもらって、その時は元気が出たんですが

ところが時間が経つと、その人の励まし効果は薄れ、

誰かの手を借りたくなったこともあったのは事実です。

男と女は考え方が違うし。女は感情のいきものだし。

宗教2世という特殊な環境の中で育ち、虐待受けて育ったから

プロのカウンセリング受けた方がいいんではないか?と。

言い訳の嵐が私の心を取り巻きます。

自分の人生、自分で責任を取る。

自分で答えを導き出すと決めたものの、正直心が揺らいだのも確か。

自分で責任を取るのが怖かったんですね、今思えば。

”自分で決めたことだから最後までやりきろう”と

日々の生活のあらゆる意思決定を自分で考えて出す、

その小さな決定の繰り返しが、大きな決断ができる道筋になる。

自分の人生は自分でしか変革させていくことはできないのだから

他者の意見に乗っかったりせずに、自分の気持ちや意見に耳を傾ける。

 

それは母の強烈な洗脳術・支配の元で育ち、

母の顔色を伺う生き方(つまり他人軸)、そういう環境で育ったからこそ

他人軸ではなく、自分軸で答えを導き出すこと、

一人でこの問題を解決することに、非常に意味があると思ったから。

向き合うからには覚悟を決めてそこに向き合わないといけない。

※ 自分に元気がない時はやめておいた方がいい。無理に向き合わない方がいい。

 

ようやく長い暗いトンネルの出口が見えた頃には

自分の人生のテーマに気づく。 人それぞれ向き合う”課題”がある

 

相手・場所・環境を変えて形を変えて私にこれでもかというくらい

問題提起していたのに、そうとは知らずに…。

それはちゃんと向き合っていけるタイミングでしか

その向き合いは起こらない。そして最後の最後に具体的な課題が見えてくる。

ここまで来たら、長い暗いトンネルから抜けている。

あとは実生活で課題を実践のみ。

 

 

長くなったので今日はここまで。

長文にもかかわらずお読みくださり、ありがとうございました。

★許すとは…

ようやく暗闇から脱出できたような気がしたのに

何度も奈落の底に引きずりおろされる瞬間がある。

母を許そうと思えば思うほど、

手放さなければと思えば思ほど

心の回復の妨げになっていった。

一方ですっかり"親を許せた"という人の話を聞くと

そういう人と自分を比べて落ち込む。

いつまでも母や育った環境のせいにしてる自分に嫌気がさすし

過去の暗い出来事ばかりに目を向け

恨みや怒り苦しみにエネルギーを使うより

ポジティブにエネルギーを使った方がよりよい未来を築き上げていけるのでは?そんなことは頭でわかってる。

心はなかなかコントロール出来きない。

恨む、憎むこと事態何も生まれないし

過去をやり直せない。

母のうしろに隠れて守ってもらって

自分は変わらないという甘えではない。

 

割り切れない思い、

長年の怒りがあまりにも多過ぎて

感情を抑圧してきたことが問題なんだ。

ずっと感情にフタをしてきた分、

怒りを外に出さずに

自分の中にごっくんごっくんと飲み込んできた結果、私の心の中は整理のつかない"ゴミ屋敷状態"になっている。

 

今でも母には私はいい子に映っているだろう。

まさかこんなに憎しみに溢れているとは思いもよらないだろう。

それに大病して過去のことなんて覚えてないのかもしれない。

大病をして不自由な体になった母に積年の思いをぶつけるなんてできない。

 

でも許せないという気持ちは偽りのない私の気持ち。それを受け入れようと思う。

嫌いなものはやはり嫌い。好きにはなれない。

人間にも相性がある。親子にもある。

過去の母は嫌いだけど、今の母は好きになれるかもしれない。

 

心理とはとても複雑で、デリケートで深い。

スイッチひとつで切り替えられるものではない。

 

時間をかけても解消しなかったこと、

今後も無理だろうなぁと思うこと

 

・母を許すこと(に固執すると)

 →傷ついた心の回復に繋がらない。

       妨げになる。

 

・生涯、母なるものをさがす旅人

 →きっと私はシンプルに親の愛を感じたかった。きっと死ぬまで母性という曖昧な定義を探し続けるのだと思う

 

私に必要なのは母を許さなければ…という

義務感の気持ちを手放すこと。

ステレオタイプに型にはめて無理矢理"許そう"としないことなのだ。

 

機能不全家族で育ったからからこそ

つらい過去があったからこそ、

幸せな結婚とは…家族とは…

深く思慮し向き合ったから私の代で負の連鎖は止めた。幸せを手に入れられた。

"あの時の苦しみがあったから""今の自分の幸せ"を感じれている。という方がしっくりくる。

幸せはすでに自分の手の中にあるよと。

 

ネガティブな環境で育ったから、スタートラインががちネガティブなんで

思考の癖、ポジティブなマインドを保つ訓練は

日々の積み重ね、

一生かけて学んでいくことかなと思う。

 

でもネガティブな感情も実は大切な要素で

悲しみ、苦しみ、落ち込み、恨み、不安、怒りなど負の感情を一切感じないなら

何の感動も成長もない人生です。

傷ついた人の気持ちの分からない鈍感な人間になるより、傷ついてもなお立ちあがろうとする人の方が魅力的だし、そういう人の方が好きだ。

負の感情があるから幸せを享受できる✨

だからネガを否定しすぎ、その感情を認めてあげて

しっかり受け止めてあげなきゃいけない

 

★映画:ある男 〜A MAN〜

前回のつづきを更新せずに、得意の道草です。

異国の地で、日本映画"あの男"を見て来ました。

今や世界のどこにいてもNetflixAmazonプライム

国を問わず様々なジャンルの映画やドラマを見ることができ便利になりましたが、海外の映画館で日本の映画を見て、現地の人の生の反応を見るのもおもしろいものです。

以下、ネタバレ含まれますのでご注意ください。

f:id:small_talk:20240224011638j:image


↓ネタバレ開始↓


前半は起伏のないシーンが続き、外国人にはどう映ってるんだろうとドキドキしながらのスタート。


登場人物は重い過去を背負っている。

過去を消し去って人生を何度もやり直そうと隠しても、なぜか身元がバレてしまう。


深刻な事情を抱えた人の人生リセットは難しい。

「新しい自分に生まれ変わりたい」という願望を叶える手段として、身元を交換?偽装する(犯罪)ことがビジネスとして成立する社会の裏側。

※あくまでフィクションです!

ですが…身元交換した相手側の「兄と折り合いが悪かったから」という理由で身元を捨てる=交換するというのは少し無理があるとは思いました。この部分はパンチが足りませんでした。


過去を隠すことは過去に執着してるということ。

映画の登場人物は重い過去を背負っているので仕方ないことなのですが、過去を隠すイコール、自分の心がいつまでも過去を引きずっているということ。

結局のところ、自分が生い立ち、生まれ育った環境、家族を受け入れられていない。

自分の生い立ちで悩んで苦しいのにひた隠したり。

色眼鏡で見られたりするのが嫌だから…

自分を説明するものが

自分そのものではなく、

自分の家族、生い立ちやルーツがレッテルとなったりする。


本作の隠れたテーマは、問題を起こした当の本人ではなく、その家族の人生さえも奪ってしまう。

"過去を執拗に糾弾して、立ち直ろうとしてもそれを許さぬ社会の冷たさ" と"その沼"から抜け出せない…負のループ。

人間とは差別意識の塊、

排除的ですぐにカテゴリーに分けたがり

なにかと理由を探しては紐付けたがり

決めつけたがる。

レッテルを貼ろうとする。

その人のことをよくも知りもしないのに人格否定したり、執拗にネットで叩く。

攻撃対象を見つけた時の破壊力は凄まじい。

なんとも闇が深い。

表面的な部分しか見れないような人が多いのは事実。

こういった大多数の他人の評価から逃れることは難しい。

自分の物差しでしか相手を測れないからゆえに相手を裁いてしまう。

測る物差しが違うのに、分かり合えるわけがない。

人を見る目であったり、伝え方というのは人格があらわれる。

想像力は人間としての成熟レベルとしてあらわれるから。

 

そして次に注目したいポイントは

"過去にこだわる男" と "今を生きる女"

異なるふたつのタイプ。

今を生きる女は気苦労せずに育った分、

ストレス、苦労、我慢などネガティブなことにはイチイチ囚われず、その時よければいい。

家族という形状さえ保てさえいればいいと割り切り、心の避難先を確保し、ずる賢く、うまく人生を渡り歩ける。

家族(映画では配偶者を指す) の本質を見ようとしない、向き合おうとしないのは

ある意味、考えすことがストレスになることをわかっているからあえて避け、ストレスをためずに浅く広くうまく生きるための知恵であり、術なのかもしれない。


エンデングは日本映画お決まりの

"最後はあなたの想像におまかせ"…という不完全燃焼な終わり方。

レイシストでどのように苦しんできて、どのように戦ってきたのかをもっと具体的に深掘りして欲しかった。

映画が終わった後、現地の人の反応が気になり、耳をそばだてて聞いてると、よかったと言ってるのを聞いて自分の作品でもないのにちょっとうれしかったです。

外国人から見ると、レイシスの部分はあのくらいライトでもよかったのかもしれない。日朝韓の間に差別が存在してることがわかればよかったのかもしれない。私的には掘り下げて欲しかったですが。

 

人生につきものの「たら」「れば」

誰もが過去を消せなら

人生をやり直したら

生い立ちを変えれたら

誰もが考えた事があり

悩む事だから響くのでしょうね。

 

原作:東野圭吾

映画「手紙」も心に響く作品。

血筋、家族は選べない。

自分ではどうしようもできない家族というしがらみで苦しむ主人公。

生い立ちのせいで何度も人生をやり直そうと試みるも、逃れられない。血縁だからこそ生まれる愛憎。

人間関係の基礎は生まれ育った環境で作られる。

血縁というのは切りたくても切れない。

切ったと思っても切れない関係性だからこそ複雑に絡まって、雁字搦めになって苦しめるのかもしれませんね。

 

傷ついても一生懸命生きて

その中で幸せを見出そうとしてる人、

そういう人が好き。自分と似てるから…

人は色々抱えて生きています 

顔で笑って居ても、心は悲しみでいっぱいな時もあるし、それを表に出せない時もある。

それを「想像」する"器"があることは大事なことだと思っています。

 

うまく纏められませんでしたが、拙い文を最後までご覧いただきありがとうございました。