ある家族のノンフィクション手記

親兄弟は選べない。家族という病

★許すとは…

ようやく暗闇から脱出できたような気がしたのに

何度も奈落の底に引きずりおろされる瞬間がある。

母を許そうと思えば思うほど、

手放さなければと思えば思ほど

心の回復の妨げになっていった。

一方ですっかり"親を許せた"という人の話を聞くと

そういう人と自分を比べて落ち込む。

いつまでも母や育った環境のせいにしてる自分に嫌気がさすし

過去の暗い出来事ばかりに目を向け

恨みや怒り苦しみにエネルギーを使うより

ポジティブにエネルギーを使った方がよりよい未来を築き上げていけるのでは?そんなことは頭でわかってる。

心はなかなかコントロール出来きない。

恨む、憎むこと事態何も生まれないし

過去をやり直せない。

母のうしろに隠れて守ってもらって

自分は変わらないという甘えではない。

 

割り切れない思い、

長年の怒りがあまりにも多過ぎて

感情を抑圧してきたことが問題なんだ。

ずっと感情にフタをしてきた分、

怒りを外に出さずに

自分の中にごっくんごっくんと飲み込んできた結果、私の心の中は整理のつかない"ゴミ屋敷状態"になっている。

 

今でも母には私はいい子に映っているだろう。

まさかこんなに憎しみに溢れているとは思いもよらないだろう。

それに大病して過去のことなんて覚えてないのかもしれない。

大病をして不自由な体になった母に積年の思いをぶつけるなんてできない。

 

でも許せないという気持ちは偽りのない私の気持ち。それを受け入れようと思う。

嫌いなものはやはり嫌い。好きにはなれない。

人間にも相性がある。親子にもある。

過去の母は嫌いだけど、今の母は好きになれるかもしれない。

 

心理とはとても複雑で、デリケートで深い。

スイッチひとつで切り替えられるものではない。

 

時間をかけても解消しなかったこと、

今後も無理だろうなぁと思うこと

 

・母を許すこと(に固執すると)

 →傷ついた心の回復に繋がらない。

       妨げになる。

 

・生涯、母なるものをさがす旅人

 →きっと私はシンプルに親の愛を感じたかった。きっと死ぬまで母性という曖昧な定義を探し続けるのだと思う

 

私に必要なのは母を許さなければ…という

義務感の気持ちを手放すこと。

ステレオタイプに型にはめて無理矢理"許そう"としないことなのだ。

 

機能不全家族で育ったからからこそ

つらい過去があったからこそ、

幸せな結婚とは…家族とは…

深く思慮し向き合ったから私の代で負の連鎖は止めた。幸せを手に入れられた。

"あの時の苦しみがあったから""今の自分の幸せ"を感じれている。という方がしっくりくる。

幸せはすでに自分の手の中にあるよと。

 

ネガティブな環境で育ったから、スタートラインががちネガティブなんで

思考の癖、ポジティブなマインドを保つ訓練は

日々の積み重ね、

一生かけて学んでいくことかなと思う。

 

でもネガティブな感情も実は大切な要素で

悲しみ、苦しみ、落ち込み、恨み、不安、怒りなど負の感情を一切感じないなら

何の感動も成長もない人生です。

傷ついた人の気持ちの分からない鈍感な人間になるより、傷ついてもなお立ちあがろうとする人の方が魅力的だし、そういう人の方が好きだ。

負の感情があるから幸せを享受できる✨

だからネガを否定しすぎ、その感情を認めてあげて

しっかり受け止めてあげなきゃいけない