ある家族のノンフィクション手記

親兄弟は選べない。家族という病

★心理学 (アンチスピリチュアルな世界)

スピリチュアル、以下スピと略します。

スピと聞くと警戒してしまいます。

スピを全面的に否定をしてるわけではないんですが

使い方を間違えると危険だなぁと感じるんです。

 

これを言うと炎上しそうですけど

スピに傾倒しすぎる人は地に足をつけて生きる感覚がないように見えるんです。

なんだか地に足がついてない&宗教ぽくて…。

私にとっては注意ワードです。

 

スピに傾倒せず論理的な思考を持たないと

宗教に傾倒した母と同じように何かに依存して生きることになってしまう。

波動とか、そういう目に見えない世界のことに傾倒しすぎると

宗教ぽく見えませんか。

 

何事にも努力が必要で、努力・勉強・時間が足りなかったことが

原因であることが多いのに、”波動が一致しなかった”とか

”この道にいくなという思し召しね”とか

なにか自分の判断から逃げて、

判断をスピに依存しているように見えることがあって

なんでもかんでも”スピ”で物事を決定してるところを見ると

違和感を感じる時があるんです。

無意識レベルで自分で考えて判断することから逃げているというか。

日常の小さな問題をひとつずつ自分で考えて努力して答えを出す練習をしないと

現実逃避の繰り返しクセがつくととても危険に感じるのです。

小さな問題を見て見ぬふりして逃げた結果、

大きな問題として姿カタチを変えてドーンと降りかかる。

当然、小さな問題ですら逃げていたら

大きな問題なんて解決できない。

あの時の母のように。

 

母は反面教師になってくれたおかげで

私はそうならないように

道を間違えないように

母の姿を通して学んだ部分がある。

そういった意味では母に感謝している。

間違わないように道しるべしてくれたんだなぁと。