ある家族のノンフィクション手記

親兄弟は選べない。家族という病

生教育と性教育

性教育」とは「生教育」

生きる教育と書いて

心と体を守る教育のこと

 

自分の身体を守ることは

自分を大切にすること

まだ幼い子供だからと言ってこの問題を

先延ばしにするのは

危険な世の中だ

情報弱者な幼い子供を狙った性犯罪が

世の中にはゴロゴロと蔓延っている。

知識も心も育んでいかないと

本当の意味で自分や家族も守れない。


昔、中学1年生の保健体育の期末試験を前日に控え

テスト対策として生殖機能の名称を覚えないといけなかった。

こういう類は英語や数学のようにコツコツと積み上げて学習するものではなく

一夜漬けで記憶するもの。

集会と重なるテスト期間中は、勉強時間が足りないので徹夜覚悟になる。

JWの集会から帰ってきて、次の日のテスト科目の勉強割当を考慮して

わずかな時間をテスト勉強にあてなければない。

集会の時間を勉強に充てれたらいいのに。何度思ったことか。

 

まず保健体育の勉強からはじめることにした。

生殖機能の名称の暗記。

タイミング悪かった。

娘の行動がいちいち気になってしかたない母が

背後からのぞき込みに来ていることを知らずに教科書を見ていると

心臓が止まるかと思うほどの金成声と般若の顔をした形相の母は

まるで卑猥なものを見る目つきで私を睨みつける。

まるで私が恥ずかしいこと、悪いことをしたような気にさえなる。

 

母 「何見てるの!こんなの見なくていい!」

とすごい剣幕で教科書を閉じたのを覚えている。


私「試験勉強…」

好き者で見ているのではないことを小さくアピールしてみた。

 

蔑むような目つきで母は私にこう言った

母「ダメなものはダメ!こんなんサタン喜ぶこと!」

私「サタンって…明日試験だし…」

母「性に興味を持ってお母さん恥ずかしいわ。この子はなんでこうなるの?サタンを喜ぶことばっかりして。今頃サタンが喜んでるわ」

 

なんでもかんでもサタンと一括りする母の言葉に疑問を感じつつ、

このままお互いの正論をぶつけ合っても

平行線のままだし、明日は試験だし、無駄に時間を割きたくなかったので私の方から折れた。

 

でも勉強しながらも、モヤモヤ感を引きずりながら勉強した。


母の歪んだ世界観

生殖器の名称さえも悪と分類し

サタンとジャッジする。

物事を白か黒しか分類しないため

視野が狭い

性のタブーは、JWから"悪"と植え付けられてきた影響のせいか

”異性” ”性” にまつわる事柄に関する母の過剰反応と怒り、恐れは凄まじかった。

 

それは子どもが成長していき

自分の手に負えなくなる恐れ

親として未熟なのに、様々な問題をどう対処していけばいいのかわからない戸惑いが過剰反応となり、怯える母からただならぬ不安と恐れを感じとった。

母子家庭だから余計のこと。

父親役も背負ってしまった母には抱えきれなかったのかもしれない。

 

確実に言えることは

JWの狭い世界と価値観だけで生きてると

「考える力」が停止する

白か黒か

1か100か

分類しないと気が済まない。

なんでもかんでも分類したがる。

取るに足りない些細なことでも過剰に敏感になっている。

私を悩まさないでくれ

問題を作らないでくれ

考えさせないでくれ

そんな叫び、恐れを感じた

 

世間知らずで、臆病者で、視野が狭く

人生経験値不足から来る「不安」と「恐れ」が

自信のなさとしてにじみ出ていた。

人(子ども)と向き合うことへの恐怖心。

それが顕著に表れただけのこと

 

こんな母なので、大切な「生教育」「性教育」を受けたことはない。

それはとても危険なことなのだ。

 

私が小1の時だったと記憶している。

近所の4,5歳の女の子とおままごとをして遊んでいたら、知らないおじさんが話しかけてきた。

この団地に住んでいる人なのかな?とあまり深く考えずに

おじさんの質問に答えていたと思う。

家族構成を事細かに聞かれたような気がする。

そうやって距離をつめてから、おじさんはごく自然に私を抱っこしたけど

それにもあまり疑問を感じず、子どもが好きなおじさん程度にしか思ってなかった。

次第にベタベタと触ってきだして、あれ?と小さな疑問を感じながらも

いい人だし(←と思いたい)

抱っこされたら身動きとれない。

だんだんエスカレートして、パンツ見たり

おしっこ大丈夫?といって股を触って、その手を匂ってもなおも

心配してくれてる

大人は間違ったことをしない。

大人は正しいという先入観で

小さな違和感すら「なかったこと」にしようとしていた。

ここまで書けばお分かりだと思うが

このおじさんは小児性愛者。

子どもが多くいそうな団地で

ターゲットになりそうな女の子を物色し、

私を狙ったのだと思われる。

 

年上気どりで面倒を見ていたつもり

恥ずかしながら幼いと思っていた年下の女の子に助けられたのだ。

おじさんに向かって、

「どこの誰だかわからない人と話したくない。

なんでずっと抱っこしているの?離して!」と

しかめっ面で抗議してくれた。

この子の警戒心、咄嗟の判断のおかげで最悪の事態から免れた。

私は怪しいと感じなかったのだ。

普段は甘えん坊で頼りなく思っていた幼いこの子が実に頼もしく、家でしっかり教育を受けていたおかげで私は間一髪助かった。

なんとも情けない年上だ。

 

それから小4の時にも小児愛者がいた。

それが、なんと学校の先生なのだ。

違うクラスの先生。

小児愛者だから教員になったのかもしれない。

ある日、廊下を歩いていたらその先生に呼び止められ

「放課後、4時に、ひとりで体育館の裏に来なさい。

このことは誰にも言ってはいけないよ。わかったね」と言われた。

その時の先生の表情に、小さな違和感を感じ

直感的に行ったらダメだと思って行かなかった。

叱られるようなことをしていないし

担任でもない先生からの呼び出し、

ひとりで行かなければならないことへの疑問、

職員室ではなく体育館の裏?

誰にも言ってはいけないと言われたから、健気にそれを守り、友達にも親にも言えなかった。

 

行かなかったら行かなかったで、どうしよう。

怒られる。と毎日怯えながら過ごした。

数週間くらいはビクビクしながら過ごしたと思う。

当然のことながら何もしていないので怒られることもないのだが…。

そんな出来事も忘れかけていたある日。

半年か1年過ぎた頃、

その先生は、数十名の生徒へわいせつ行為を繰り返したことが明るみになり、懲戒免職になった。

新聞の地方欄にも小さく掲載された。

手口はやはり同様だった。

ひとりで体育館の裏へ来るように指示し、犯行に及ぶ。誰にも言うなと脅す。

 

つまり職権乱用だ。

「先生」という「立場」と「信頼」を悪用し、

学校という特殊な場所、

しかも体育館の裏という「学校の死角」で犯行に及び

教員という「主従関係」を利用し

児童たちを意のままに従わせていた。

先生の言うこは絶対、聞かないといけないという暗黙のルールと先入観、

低学年の被害児童においては、性被害の意味すら理解できない。

被害にあったその子は全く悪くないのに

自己への嫌悪感を抱くことになるだろうし

人格形成に重大な悪影響を及ぼしかねない。

生涯にわたり傷になり、精神的被害は計り知れない。

なのに、数年後、何事もなかったかの如く、別の市立小学校の教員として働いていると聞いた。

恐ろしいが、それが今の日本の現状だ。

 

私はその後も10代、20、30代は痴漢や変質者に悩まされた。

特に10代、20代前半は、毎日というくらい

電車、通学路、通勤路、そんな遅くない時間帯でさえも、痴漢、変質者、変態はいた。

若い頃はミニスカートが履けなかった。

ミニスカートを履いて挑発したのはそっちだろ!と言われたくなかったから。

 

そういうことを母は知らない。

私も母に解決能力がないことがわかっているので相談しない。

相談できない。

 

大人が正しいとは限らない

親だからといって正しいとは限らない

宗教にのめりこんだ母の狭い世界観の中だけで生きていくのは危険だ。

母親を頼りにしてはいけない

母の説得は全て聖書からの引用で、

自分の考え、口からのものではない。

そんなもの自分で調べればわかること。

イチイチあなたから教えてもらわなくても、私が調べればわかります。というレベル。

 

或いは「○○兄弟が言ってた」、「○○姉妹が言ってた」から「そうする」

と言ってると思えば、

「別の兄弟、別の姉妹が言ってることの方が正しい気がしてきた」と

簡単に考え、意見を翻す。一貫性なし。

完全に思考停止してる人に頼れるか?

こういうあやふやな部分もティーンエイジャー2世は見抜く。

子どもへの説得も説明もろくにできず、

考えにブレがあることに矛盾を感じ、

頼り甲斐もなければ

人を享受できる器を持ち合わせていない人に

なにかあったらムチという暴力で力ずくで言いくるめるような親に心を開けることもなければ

日ごろから相談できる関係性にないのだ。

 

友達に過去の被害について話したら、

私ほど被害にあっている人はいない。

なんでそんなに被害にあったのか、最近になって考えてみた。

幼い頃から、親へNO!が言えない環境で育ち

親の言いなりになって育ち

親の顔色を窺い、親の機嫌を取るのが当たり前、

自分ファーストではなく、自分以外の人を優先するように教えられ、

自己犠牲が当たり前の環境で

自分軸がないまま育つと

それがオーラとして出ているのではないかと。

人格に滲み出ているのではないか。

そういう相手をターゲットにしてるような気がする。

当時、ブルマでは隠せない、ムチの跡があったので家庭内暴力があったことを

見抜いていたのかもしれない。

 

何を言っても許される

何をしても大丈夫

どういう人物が狙いやすいか、

嗅ぎ分ける能力があるゆえ

性犯罪者のターゲットにされてしまうのではないか。と分析した。

 

痴漢や変質者の被害にあったことがない子は

日ごろからNO!が言える子だし

違う意見でも堂々と言い返せる子だし、

日ごろから自分軸がある子だ。

 

最近は女の子に限らず男の子も危険と隣り合わせになっていると思う。

ましてや、LGBT法案により男女共同のトイレにしようと推し進められているけど

ちょっと待って。それって…。性犯罪を誘発させてるとしか思えない。

 

話しは戻るが、親の言いなりに支配したり

言いくるめる教育方法は危険だと声を大にして言いたい。

表立って何も言えず、黙って従うようなロボットのような人間に育てて

自分の意見を言えないようなイエスマンに魅力を感じるだろうか?

それで都合がいいのは母親だけだ。

 

「NO!」「嫌だ」「やめて」と言えない環境というのは

子どものうちは親に都合いいのだろうけど

子どもが社会に出てからが本当に大変。

「NO」と言えないのは「YES」と一緒。

「沈黙は容認」と同じ。

「NO」という意思表示ができない限り、奪われ続ける人生になるのだ。

搾取される人生なんて誰もが送りたくないはず。

いまさらながらNO!と即答で言える大人になるため鋭意試行錯誤中だ。

 

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