ある家族のノンフィクション手記

親兄弟は選べない。家族という病

生い立ち

「三つ子の魂百まで」

3歳頃までに人格や性格は形成され、100歳までそれは変わらない。という意味のことわざです。
物心がつく頃合い、乳幼児期に人格形成の基本が出来上がることを意味します。

これは生まれた順番に大きく影響します。

 

私は長女として生まれました。

年子の兄弟がおり、さらにその下にも幼い兄弟がいました。

物心がつく前には…

物心がついた頃には…

自分は親の一番の存在ではないことに寂しさを感じつつ、年長ということもあり甘えたり、わがままを言うことは許されずに厳しく育ちました。

一方で自分の思う振るままのびのび育つ弟にうらやましく思いながら

モヤモヤとした気持ち、愛されてないと感じるさみしさや時には弟にやきもちを妬いていました。

 

赤ちゃんが泣いたり、幼い子が泣くのが仕事ですが

「お姉ちゃんなんだから泣いてはいけない」

「お姉ちゃんなのだから我慢しなさい」

「また泣く」(めったと泣かないけど…)

「いつまで泣くの」(今泣いたところだけど…)

早くから赤ちゃん、幼児であることから卒業させられます。

「弟は小さいんだからしょうがないでしょ?」と弟には評価が甘く、

弟と同じことをしても怒られるのはいつも姉である私、

弟が悪さをしてもお姉ちゃんのマネをしたと

非がないところでも怒られ連帯責任を取らされたり。

あれ?去年は「弟はまだ小さいんだから。お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」と言っていたけど、

「とうに1年経ったけど同じことをしてもまだ弟は許されるんだ、怒られないんだ…」

子供ながらに理不尽さに気づき、親の言動の矛盾を感じながら育ちました。

 

兄弟姉妹というのは両親の愛情の差をこれでもかというくらい見せつけられ、差別を感じやすい存在です。

褒められたい。愛されたいと思い、

親の期待に応えようと無理して、兄弟姉妹の面倒を見るなど自己犠牲を背負ったり、頑張ってました。

良い子を求められ育ちましたが、これ以上怒られたくない、惨めな思いをしたくない気持ちから従順な子どもへと成長していきますが、残念なことに良い子でいても褒められることはなく、なにをしても怒られて、叱られて育ち、物心がついた時にはすでに自己肯定感の低い人間で、常に親に怒られて叱られて育ちましたので親の顔色を伺う子どもになり、大人の顔色に敏感になりました。

 

子どもらしい行動をとれば

怒られ、非難されるので

そのため弱音を吐けない性格になり

本心を言えない、

自分の思っていること考えていることを言っていいのかな?いけない?今言っても大丈夫?と自由な発言ができずに育ち、

やがて自分の感情をうまく表現できない性格へとなっていきます。

 

親は長女に対して過干渉になりがちです。

やりたいことを禁じたり、親がいいと思うものを子どもがしたがらないのに、欲しがらないのに強制しがちです。

過干渉で育てられた私は自分の願いより親やまわりの望みを叶えるクセがつき、成人しても

「自分のやりたいこと、欲しいことがわからない」

「自分を出せない」性格へとなっていきます。

 

よくある多兄弟の長女気質そのままといったところでしょうか?

 

続く