ある家族のノンフィクション手記

親兄弟は選べない。家族という病

愛のムチという都合のいい家庭内暴力

たけみちゃんとの聖書の勉強は続いていた。

子ども向けの本で、ひらがなが多く、カラフルで独特のタッチで描かれた挿絵が特徴だった。

内容は近いうちに最後の日が来ること。それをハルマゲドンが来ると呼び、

聖書を学んで聖書の教えを守っている者だけが楽園に行けるという。

楽園では老化や病気や死がない、永遠の命になること。

過去に亡くなった人がそこで復活するという。

そういった内容だった。

以前にも書いたが、まだ小学生4年生の子どもだった私には、永遠の命が欲しいわけでもなく、病気や死への恐怖もなかったし、楽園と聞いて心が動かなかった。

そんなおとぎ話のようなこと、信じる人がいるのか?と不思議に思っていたくらいだ。

楽園では死者と再び会えるというのだ。

まだ身内で誰か亡くなる経験がなかったので死人に会いたいという発想もなかったし、楽園でやりたいことがなかった。

それを素直に言うと、たけみちゃんの顔はみるみる曇っていき、ただでさえハの字眉のたけみちゃんの眉はさらに極端なハの字になり、眉間にシワがいった。

その表情を見て、私の答えや考えはたけみちゃん的には面白くないことは空気で伝わったし、正直に感想を述べることも、本心を語ることもタブーな雰囲気だった。

たけみちゃんは、楽園ではログハウスを建てて、暖炉を作って、犬を飼い、お庭にはたくさんの花にしたいという具体的な夢があった。

 

聖書の勉強をしていない人はハルマゲドンで滅ぼされる。

仮に100歩譲って、聖書のはなしが本当であったとしても

世の中の大多数の人が聖書の勉強しておらず、死に向かうのであれば

皆と一緒であれば怖くないと思っていた。

私ひとりだけが滅ぼされるのであれば怖いが、ほぼ99%に近い人が滅びるのなら死に対する恐怖はなかった。

 

たけみちゃんは中学生だった。

時折下校時に見るたけみちゃんはいつもひとりぼっちだった。

さみしそうに下校していた。制服を着ているからかろうじて中学生とわかるものの

幼く見えた。

子どもながらに、他の中学生とはちょっと雰囲気が違っていて、あきらかに浮いていた。

なぜなら下校後、同学年と遊ぶわけでなく、近所のエホバの証人の子ども(小学生や幼稚園児、保育園児)といつも一緒にいて、その中でお姉ちゃん的存在だった。

でもその光景が異様に見えた。

 

母はこのエホバの証人の「王国会館での集会」に参加するまでに時間はかからなかった。

聖書の勉強をするようになって、ますます父が家から距離を取るようになり、

のちに全く家に寄り付かなくなるまではあっという間だった。

だから火曜日と木曜日の夜も集会に参加するまでのステップは早かったと思う。

その恐ろしくつまらないこの集会に私たち子どもも連れて行った。

 

たけみちゃんとする、週1ペースでする聖書の勉強「聖書研究」は

学校が終わればすぐ帰らないと間に合わず、掃除当番に当たると、間に合わなかった。

掃除当番は直前にならないとわからないし、誰かが休みだったら交代することもあった。

ちょうど「聖書研究」の日と掃除当番と重なったある日のこと。

当時は携帯電話もない1980年代だ。遅れる連絡ができない。

後ろめたいことをしているわけでも、悪いことしているわけでないし

掃除当番はしょうがないことだ。

説明すればわかってもらえるかなという軽い気持ちでいた。

掃除が終わり、家に帰るとすごい剣幕のたけみちゃんが待ち構えていた。

私が理由を言う間もなく、一方的に約束を守らないことについて責め立てられ

佐津間姉妹も加わり、言い逃れができない雰囲気に持ち込まれた。

約束を守らなかった子への罰として、

「愛の鞭(ムチ)」が必要といい、ベルトでお尻をたたくように母を促した。

子どもを愛しているのなら、愛の鞭(ムチ)は必要。

子どもを愛していないのか?

子どもを愛しているのか?

どっちなのかと母に詰め寄った。

母は愛しているというと、

「子どもを愛しているのなら懲らしめの鞭が必要。この子には愛が足りない。

鞭はお尻にするのが基本で、ズボンベルトがいい」

といい、母に革のベルトを持ってこさせた。

そして、他人である、佐津間姉妹とたけみちゃんがいる前で

パンツを脱ぐように言われたのである。

躊躇していると、パンツをおろされ、

お尻丸出しになった状態でうつ伏せにされ、ベルトで叩く見本を見せつけた。

私は小学生4年生になっていたので、人前でパンツを見られることでさえ恥ずかしかったのに、お尻まで人にさらし、人前で叩かれるという屈辱感と恐怖、そしてふつふつとこみあげる怒り。

言い逃れや言い分を聞くこともなく、言わせる間も与えない、外堀を埋めて封じ込めるやり方。

これはたけみちゃん自身も普段鞭をされ、そのストレスを私に向けたとしか思えない。

母は父からの暴力で暴力に対する抵抗感がなかったことも不運が重なった。

こうして私はただ「愛の鞭(ムチ)」という耳障りのいい都合のいい言葉を盾に虐待を受けることになる。

は日常繰り返されるれっきとした家庭内暴力だ。

母親による執拗な支配、

親だからなんでもしていいとばかりに、友達からかかってきた電話を盗み聞きしたり、人のかばんと机の引き出しなど勝手に見るという人権無視した親の行動はエスカレートしていき、

エホバの証人の活動は禁止事項ばかりで、(していいことがほぼない)

不幸で楽しくない日々の幕開けだった。

その時はさらなる地獄が待っているとは知る由もなかった。

…つづく

 

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