ある家族のノンフィクション手記

親兄弟は選べない。家族という病

脳科学的にムチ(虐待)は「脳が傷つき、脳が萎縮する」一生モノの傷

…前回のつづき

ムチの回数が、1,2回程度だとお尻「的」に的中するが

30発、50発、尋常ではない回数になると

リズムを崩し、的はずれし、「太もも裏」にもあざができる。

ブルマになるとまるみえ。

 

赤黒くなって

青紫になって

それが酷くなると黄疸になる。

椅子に座ってるのもつらいほど腫れあがって痛い。

 

日常的にムチを繰り返されることによって、やっと前のが消えかかってたのに、

また新しいアザが増える。

お尻だと他人には気づかれないが

ブルマになると太もも裏のあざが晒され、目立つ。

どうしたの?と聞かれることだってしばしばだ。

 

小学生の時、担任の先生が授業の後に私に

「あとで職員室に来るように」と言った。

私はムチのことを聞かれると思いもせず、友達と一緒に職員室に行った。

すると先生は、他の子を職員室から出ていくように言って

先生と二人きりになった。

そして、しばらくの沈黙の後に

体の疸、傷、アザ跡について聞かれた。

咄嗟のことで、どう答えたらいいのか頭の中で渦巻く。

お母さんが叩いたと言ったら?

正直に言ったらどうなるんだろうか?

お母さん刑務所に行くのかな?

逮捕されたら私たち子どもはどうやって生きて行くのかな?

施設に行くのかな?

施設に行っても新人だからといじめられる?

どこに行ってもつらいのは一緒?

 

たじろいでいることを

悟られないよう

瞬時に頭の中で、正直に話すべきなのか、隠すべきなのか、ぐるぐる考えた。いろんな想像シーンが走馬灯のように駆け巡る。

打ち明けることが怖くなって

「わたしが鈍臭いから階段から転けた」と言った。

小さいながら母を守っている私がいた。

階段からすべったにしては、不自然なあざだ。

担任の先生も真に受けていないとは思うけど、家庭の中というのは

それ以上踏み込めないものだ。

 

後日、やっぱり先生に正直に打ち明けた方がよかったかな?と思うことが度々あった。

今度聞かれたら、言ってみようかな?と思った。

でもその後、それっきり聞かれることがなかった。

 

何故自分から相談できないのか?

自分から告発するということは難しい。

それは当然ムチへの恐怖があったからというのもあるけど

今の生活がどう変わるのかが想像できずに怖かった。

母親のムチは嫌だったが、母親が逮捕されることを想像すると怖かった。

 

この家庭はもしや…?

違和感を感じたら

辛抱強く、何度か聞いてあげて欲しいと思う。

恐れていることはなにも怒らないよと不安要素を取り除いて

あげることも必要だとも思う。

だけど、やはり小学生のうちはカミングアウトするのは難しいのかなと思う。

今までも我慢してきたし、自分さえ我慢すれば済むことだと思ってしまう。

自我が芽生えだす反抗期、中学生、高校生くらいにならないと

親がいないと食べていけない、生活力のない幼少期は我慢してしまうのかもしれない。

 

母子家庭だと母の虐待行為を止める人間は家庭内にいない。

両親共にエホバの証人の神権家族もしかり。。。

兄弟同士でも、ムチが怖くて、親に従順になり、

些細な事でも密告して親の注視する矛先を自分ではない誰か兄弟(犠牲者)へ

向けることで親からの支配から逃れたい一心で裏切る。

ムチの回数の不公平感、不満から、密告することもあって

兄弟間でも歪み、裏切りがあり、信用なんてなくなっていく。

 

脳科学的な観点から思う。虐待が脳に与えるメカニズムについて感じたこと。

今振り返ると、ムチの回数が増えれば増えるほど

人ではなく「物」のような扱いになっていくこと。

親本人も気づかない、無意識レベルで脳の情報は書き換えられていく。

ムチを繰り返すうちに、脳にプログラミングされる。

人間ではなく「物扱い」

人権など無視され、粗末な扱いになっていく。

 

実際末っ子の弟の場合、本当に悪いことをした時だけ厳選してムチが行われ、滅多と叩かれることがなかった。

結果、やはりかわいいのだ。

末っ子の弟だけを猫可愛がりしていた。

人間大事なものには雑に扱わない。

 

脳のプログラム、脳の情報が「物」「粗末品」と書き換えられていく。

そのことに親本人も気づいていない。

そして、ムチを受けた側の子どもは一生克服できない傷を抱える。

 

幼少期に激しい体罰を長期にわたり受けると、

感情や理性をつかさどる「前頭前野

会話や言語をつかさどる「聴覚野」

委縮すると言われている。

 

家庭に居場所がない子どもの

家族や家庭が子どもを守ることは不可能。

家庭で虐待を受けている子どもは社会が、政治が守らなければならない。

4月から創設される「子ども家庭庁」が子どもがより

幸せになるよう、SOSが言えない子どもを守っていける仕組み作りを

時代に沿った価値観のアップデートした対応を期待している。

このブログから伝えたいこと。

宗教によって

親から子へ 宗教の強要、思想の自由を侵してはいけないことを知ってほしい
 
SOS!子どもを守るため何ができる?
→ 信教の自由は憲法で定められているのだから
 親であっても、子どもに宗教を強要し、
 他の道を選択できないことがあってはならないことだ。
 この機会を逃したら、もう時代に沿ってアップデートしていくチャンスを逃す。
 だから今こそ。
 
 

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