ある家族のノンフィクション手記

親兄弟は選べない。家族という病

できないことだらけの暗い青春時代 (黒歴史)

中学に入学も私はピカピカの一年生ではなかった。

エホバの証人の家の子が使っていたおさがりの制服とカバンで入学した。

カバンは私で3代目だった。

当時はバブル時代だったので周りが裕福の中、みそぼらしさが目立った。

周りはピカピカのカバンの中、

ひとりだけクタクタのカバンが目立つ。

入学当日の新古の差というのは残酷である。

よく「なんでカバンが古いの?」と不思議がられた。

バブルの時期ということもあって、例え上に兄姉がいても入学式には

新品の制服とカバンを買い揃えてもらっていた。

兄姉がいるわけでもない。長子だったので余計に不思議がられた。

時代背景からも年季の入ったおさがりというのは理解されにくく、どうしても好奇の目で見られてしまう。

いつもアザがあるし、古い物しか持ってないし、周りはその異様さに気づいていた。

まわりは女の子だから溺愛され、甘やかされ、大事にされていたし、たぶんそれが普通なのだろう。

3年しか使わないものにお金をかけたくないという親の気持ちはわかる。

母子家庭だから経済的に苦しいことも理解できる。

ただそれが兄弟全員皆同等の扱いであればの話だ。

なぜなら弟二人とも、どちらも新品を揃えてもらっていた。

末っ子の弟には長男坊のおさがりではなく、全て新品で揃えた。

兄弟間の不公平感も私の心を傷つけた。

 

傷つけられたことは他にもたくさんある。

母が家に帰って来るまでに、洗濯物をたたんで、食器洗い、弟の宿題の監視まで

全部終わっていないとムチで叩かれるのだ。

洗濯物ひとつでも畳み方が気に食わなければ叩かれるし、

冬場の乾きの悪い時に、畳んでしまえば「空気が読めない。バカか」と言ってムチで叩かれる。

弟の宿題に関しても、家事の合間に口酸っぱくして催促することはできる。

家事だけでも時間がとられて忙しい。

だが「馬を水辺に連れて行くことはできても、飲ませることはできない」のだ。

母が帰ってくるまでに宿題をしていなかった場合、弟が怒られるのではなく

私がムチで叩かれるのだ。

それを弟は良心の呵責などなく、あぁ、いつもの光景のように高見の見学で見ているだけで謝罪なんてない。

普段から叩かれていないので、叩かれる身の恐怖も痛みも理解できないのだ。

 

それから電話。

青春時代は用もないのに友達と長電話するのが楽しい年頃。

でも我が家では、基本、緊急時以外は私から友達に電話をかけることが許されない。

だからいつもかかってくる電話で話すのだが、友達からかかってきた電話の内容を盗み聞きされた。

”世の人”だから”世”の影響があると判断されれば、会話中でさえ、耳をそばだてて立ち聞きする。

親が盗み聞きしてると思うとせっかくの友達との楽しい電話も落ち着いて話ができない。

母親が余計なことを言い出さないかと常にヒヤヒヤするし、友達が恋愛や芸能人、漫画などの話をしたらどうしよう…と上の空になる。

大体、話しの途中で勝手に切る。

「いつまで話してるの!早く切りなさい」と突然横入りすることもあれば、受話器のそばで怒鳴られることも日常的で

”世”の話しと判断されれば、話しの途中でも容赦なしに横から電話を切ったり、

電源を抜くという防御にも出る。

友達の前で恥をかかせる。

学校の友達に”母親が変”なことがバレて気分が落ち込む。

思春期なんて”人と違う”ということが嫌で、デリケートなお年頃。

人と違うことを同級生にバレたくなかったし、気にする。

母親の支配下にあるなんて口が裂けても言えない。異常な家庭事情を隠していた。

電話もカバンの中身も机の中も、母親だから当然の権利と言わんばかりに

勝手に開けてみる。

人の心に土足でズカズカと踏み躙ってくる。

あなたのことを思ってやってると恩着せがましく、

また母親のその異常な行動を親ならば当然の行為と正当化して言ってくる。

 

私は運動神経だけはよく、子どもの頃にタッチという漫画をこっそり見て以来、ひそかにテニスに憧れた。

小さい頃の夢はテニス部に入ることだった。

当時のエホバの証人の暗黙のルールで

「部活に入ってはいけない」

「スポーツは競うものだから」

スポーツ=競う=争う=戦う=タブーという風潮があった。

「終わりの日が近いのに部活している場合ではない」

部活や勉強に時間を費やすのではなく、奉仕活動を優先するよう強要された。

鞭(ムチ)を盾にする親を目の前にして

説得してまで部活に入る勇気も気力はなかった。

「したいこと」「やりたいこと」「夢」を持つことも、思い描くことも許されず、

無抵抗にされた状態の時分がただただ虚しく、世間の友達と比べると悲しくなるだけだからその事実に目を背け、そこにフォーカスしないよう自分をコントロールして

できるだけ自分の身に置かれた不幸を考えないようにした。

同級生が青春を謳歌している中、当たり前のことができないことの苦しみ。

まわりが羨ましく思ったらすぐにその思いをかき消そうと「無」になる訓練は上達していった。

もはや当たり前のことができない常態化したこの生活が普通になりつつあるほど、感覚が麻痺していった。この無抵抗なこの環境に自分自身も慣れていった。

 

同級生や同年代を羨ましがったところで虚しくなるだけ。

自由が手に入るわけでもない。

虚無感だけ残る。

隣の芝生が青く感じたらすぐに消しゴムマジックでかき消すように邪念を消した。

これは私の中での修行であり「無」にすることにフォーカスした訓練だった。

だから今でも人と比較して嫉妬したり妬むことがほぼない。

肯定感が低く落ち込むことがあっても

嫉妬心、敵対心むき出しになることはない。

反対に女友達というのはどうしても人と比べてきて嫉妬や妬みがすごい。

きっとあの時の訓練の功なのだと思う。

 

 

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