ある家族のノンフィクション手記

親兄弟は選べない。家族という病

波乱の末・・・進路決定

三者面談の回数はクラスでぶっちぎりで一番多かったと思う。

なかなか進路の方向性が定まらなかった。

母親がすすめる道は極端すぎる。

病院で働きながら看護師の道に行く。

三者面談では一方的に母親がしゃべり一体誰の進路なんだ?と思うくらい独壇場。

担任の先生はドン引きしていたが家庭内のことまでは首を突っ込まないスタンス。

黙ったまま、首を縦に振ることも、横に振ることもない。

家庭内で進路決めて来てくれたらいいのに…と思いながら着地点のない話し合いに巻き込まれて迷惑そうな様子だった。

 

看護師…人の命を預かるということは責任が伴う。

そこまでの覚悟ができていない。

輸血の件も含め、今以上に生きづらさを抱えることになるのは間違いなかった。だから全力で阻止しなければならない。

 

将来就職に有利なように"商業科"の学校に行きたいと言った。

これは私がそう思ったのではなく、学校の謳い文句だったのをそのまま引用しただけで、まだ15歳の私には働くことの意味さえわからず、将来のことをイメージすることも考えることもなく想像つかなかった。

親とそういう話になったことなかった。

 

まもなく終わりの日が来る。それだけ。

"1914年にいた人が証言者になる"という教義だった。

仮に1914年に当時5歳だったとして

(人が記憶に残るであろう最年少の計算)

現在80歳過ぎの計算になる。

当時の平均寿命が80歳代だったから

もうまもなく終わりが来る!

終わりが近い!と囃し立て、そんな話ししかしない世界にいたら、親の視野が狭くなるのも当然のこと。

世の人(よその家庭)なら、どんな勉強をしたいか、将来なりたい夢だとか、将来どんな仕事に就きたいだとか、といった普通の話が出てこないし、できない。

 

だから進むべき道のイメージがつかなかった。

それはJW一色の教義の中にいたら、そうなってしまうのだ。

 

母は私の希望する商業科は反対、

高校進学したいのなら、近所で有名な県立エリート進学校 (※) ならば許す。

それ以外ならば、行っても意味がないの一点張り。

(※県内でも3本の指に入る県立名門校だった)

 

エホバの証人の子どもは成績優秀な子が多く、

行ける能力があったのに奉仕活動優先のため進学しなかった人もいれば、片親が未信者の場合、せめて高校だけは進学する人もいて、それと同じ高校を目指せというのだ。

それ以下なら、恥ずかしくて人に言えないというのだ。常に世間体ばかり気にする母。

 

その名門校は私が寝ずに勉強しても受かりっこなかった。

私にはそれだけの学力がないことくらいは私自身が一番わかってる。

親ならなおさら客観視できてるはずなのだが

子どもに能力以上の期待をかける。

そもそも母と父のDNAから考えればわかるはず。

常識的に考えれば、秀才は生まれないはずだ。

DNAには抗えないのだ、

なのに無理難題を押し付けてくる。

 

同じように奉仕して、家の手伝いもして、割当も他の人より頻繁にこなしている、あの姉妹にできるなら、あなたもできて当然。できなきゃおかしいと言ってくる。

人と比べて、世間の目を気にしては

常に私は恥ずかしい存在だと言う。

当の本人は高校受験失敗して、私立に行ってる。

自分のことは棚に上げることは忘れない。

 

こうして私の進路は、三者面談のたびにどんどん着地点から程遠くなっていった。

 

*******************************

ある日、県内ではかなり有名な"某宗教"の方が

ボランティアで勉強を教えているという情報を

タウン誌か新聞の地方欄で入手した母。

その情報を見ると

"低所得者層の家庭の子または母子家庭、

かつ勉強に遅れがある子(小学生、中学生)を対象に無料で勉強を教えます"という内容。

 

その方は某宗教の教え ”たすけあい”の精神から

定年後にできた時間を、勉強ができない、塾に行けない、訳ありの子に勉強を教えるボランティア活動をされていた。

 

母に連れられて、そのお宅を訪問した。

世の人とつながりを持つな!と言っておきながら、

JW以外の宗教は全て悪魔、サタンと言って忌み嫌っていたのに、都合のいい時だけ目を瞑り、都合のいい解釈する母。矛盾だらけだ。

 

「この子が本当に何させてもダメで、勉強ができないんですよ。人より勉強が遅れてて、困っているんです。受験が近いというのにこのままでは高校に進学できないんです。母子家庭で塾に行かせるお金もなくて…」

と同情を誘う。

 

母のその言葉だけ信じて、私の能力をその場で確かめもせず、

「月、水に来なさい」と言われた。

でも実際行ってみると、本当に勉強のできない子を普通のレベルまで引き上げることを目的としているので、問題が簡単なのだ。

全て解けてしまう。私は秀才ではないが、満点採れてしまう。

「君は普通以上の力は持っているから、教えることはないよ。次回から来なくていい。ここはね、勉強のできない子に勉強を教えてるからね。その席を別の子に譲ってあげたい。小学生から中学生まで教えてて、手いっぱいだから」

と言われた。

私も全て解けてしまうから、わざわざそこに通うより、ひとりで過去問をひたすら解く方がよかった。集会、伝道活動をしていたら、勉強に充てれる時間は少ない。

時間は有限、効率よく勉強したかった。

なのに、仕事から帰って来た母親は

「お前塾行ったんか?」

と般若の顔をして詰め寄って来る。

不穏な空気が漂う。

やばい。

「先生が来なくていいって言った」と先生に言われたことを説明したら

「勉強したくないからって言い訳するな!勉強できないから行ってるんや。勉強させてくださいと泣きついて来い!」ってどやされる。

そしてサボった罰としてムチで叩かれるのだ。

サボったわけではないが、母親の視点からだとそういうことになる。

 

私はムチが怖くて、再び、その先生のところに行った。

でも母親が言ってたことをそのまま伝えられない。

玄関でモジモジしていると、また来たか…。とため息混じりに困った顔をされたものの

「せっかく来たから上がっていきなさい。

この問題を解いて帰りなさい」と

問題を出してくれた。

ボランティアでやっているので、問題は全て先生の手描きなのだ。

今と違ってコピーも贅沢品。まだコピー機が気軽に使える時代ではなかった。

広告の裏や裏紙を利用してすべて手描きの自作。

手間暇かかっている。1枚の問題を作るのにも30分くらいはかかっているだろう。

解けなかった問題は理解できるまで丁寧に個別に勉強を教えておられたが、私にはその必要はなかった。

先生は夕刻の時間になったら途中で抜けて、"夕づとめ"という祈りの儀式をされていた。

エホバだけが神、それ以外は悪、サタンと植え付けられてきた私は複雑な気分だった。

これだけのことをボランティアできる人が"悪"とは思えない。

むしろ尊いことだ。

教義が違うだけで「悪」と決めつけるエホバの証人の教義。

とはいえ、日常的に寺神社仏閣宗教は"悪"で

サタン呼ばわり。そんな風に植え付けられれば

すぐそばにサタンがいるような気がしたのも事実でこわかった。

善と悪の判断が揺らぎつつも、サタンの存在がこわかった。今なら架空のものだとわかるのに。

私の頭と心は複雑に入り乱れた。

 

問題を解いたあと先生は、毎回、同じことを私に言った。

「普通に解けてるから問題ないよ。できない子を教えるのが私の使命で、できる子まで見きれない。問題作るのも大変だから。その席、他の子に席をあげてね」

本当にその通りだと思った。

ボランティアといえども、先生の個人的な時間、紙代や電気代など見えない経費がかかってるのだ。

わからずやの母親には通じない。

タダなら乗っとけ!というガメツさだけは恐ろしい。

 

「全問解けるから来なくてもいいと言われたし、簡単だから行っても時間の無駄だし」

と言えば、

「口ごたえして!言い訳考える暇あったら勉強してこい。ケツ出せぇ〜」と母の気が晴れるまでムチ打ち。

「もっと難しい問題を出してくれと頼め。ボケ、このわからず屋」

先生の教育方針、ボランティアの趣旨を理解しておらず、どこまでも自分勝手で自己中心的な母。

この人に何を言っても無駄なのだなぁといつも泣けてくる。

「わからず屋はそっちだろう」と心の中で叫びながらも、ムチという恐怖心には抗えず、結局中3受験直前まで通い続けた。

 

そして合格発表の日、合格圏内とわかっていてもドキドキするものだ。

無事合格し、「これで晴れ晴れ自由の身になれる」と私も浮かれていて、先生にお礼の電話をすることを忘れていた。

というか、子どもの私には、そこまでの常識もなければ、気がまわらなかった。

夕方先生から受験合否の確認の電話があった。

常識的にこういう時は合否の連絡をしてくるものだとこっぴどく叱られた。

遠まわしな言い方だが、ニュアンスから読み取るとそうすることが世間では普通なことで、他の生徒の親は皆当然のことながらお礼に伺ったのだろうと察知した。

 

仕事から帰って来た母親にそのことを伝えたら

「あっ、そう」で終わった。

お礼を言う気もお礼に行く気もない。

来なくていいと言われながらも通い続け、時間を割いてもらった恩義がある。

私はそのままスルーできなかった。

私はずいぶん前に祖母からもらったお金をずっと隠し持っていて万一の時に備えて大事に持っていた。

そのお金で菓子折りを持っていき、お礼を言いにいった。

ひとりで。

 

まだ先生の機嫌は悪かったが、母親が来ないような家なんだと察したようで

手土産の菓子を神様に捧げる儀式を終えたあと、

これから大人になるということの心構えについて、

感謝、慎み、助け合い、宗教の教義も多少含まれていたが、人間力を教えない母親の代わりに、至極真っ当なことを教えていただいた。

 

世の中とのズレは、こうやってひとつずつ、世間の反応を見て、叱られたり、注意されるたびに学んでいった。

母ではなく、世間から。

 

話しは戻る。

結局、近所の有名な進学校ではなく、私の第一志望の商業科に受験が決まった。

願書提出期限が迫る前々日に。

そのくらい、ずっと進路については揉めていた。

体裁を気にする母は、誰もが認める、自慢できる高校でなければ認めてくれなかったからだ。

その学校以外は、行っても意味がない。

ならば、准看護を目指して働いて家にお金を入れろの2択だったから。

私は母の敷いたレールの上に乗ってしまうと、一生このレールから抜けれない気がしたからここで絶対折れてはいけないと思った。

本当は商業科に興味がなかった。商業科の唯一いいところはバイト可能だったこと。

県内3本の指に入る名門校の受験は能力的に無理としても、偏差値内の普通科の高校に行きたかったが、バイト禁止だったし、進路の時期になったら

まわりが進学するのに進学できない虚しさを経験するのが嫌だった。それだけの理由。

早く自由になりたかった。自由になるお金が欲しかった。

 

どうやって説得したかというと、

普通科と商業科の入学費、教材費、授業費など比較したら

商業科は圧倒的に年間費、3年間のトータルコストが安かった。

そうやってあの手この手で説得していってやっとOKが出たのだ。

 

毒親だが、外面はよく、柔和で外ではニコニコしているからまさか口汚く罵るような親とは見えなかったと思う。

多くの毒親と呼ばれているJW1世の親もそうだ。

表の顔は柔和で話し方、物腰こそやわらかいが

裏の顔は自己中で自己愛が強い人が多い。

ニコニコは気難しい性格を隠すためのものの気がしてならない。

そのニコニコは本物なのか腹の探り合いをしてしまう。

私はいまだに"ニコニコしてる人"がこわい。

 

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