私がこのブログをはじめたきっかけは
2021年立秋に突如襲ったミッドナイトクライシスという鬱から。
※ミッドナイトクライシス・・・中年期特有心理的危機
Midlife crisis(ミッドライフ・クライシス)
Middle age crisis(ミドルエイジ・クライシス)
中年期危機、中年期特有心理的危機 から来る鬱や不安障害のこと
⚠家族ライフサイクルの変化
突然目の前に立ち図った親の介護問題、または死別。家族構成の再編成が必要になったり
過去に残してきた親との関係、兄弟関係の問題が表面化する
⚠病気などによる変化
病気を通して家族との関係性、人格形成などの問題と改めて向き合ったり
取り巻く環境が大きく変化する時期。
残りの人生をどう生きていくか葛藤が生じる
この病から2年、長い月日をかけてようやく苦しみから抜け出せた感じがする。
感情や精神を測るリトマス試験紙は存在しないので
自分はどれくらい回復しているのか、正直わからないけど…出口が見えた、出口から抜け出せた状態と思ってる。
母をどうやったら許せるのか、落としどころをずっと探していた。
その答えがようやくみつかった。月並ではあるけれど "私を産んでくれたことに感謝"と思う。
長くて暗いトンネルに迷い込んだ時は苦しくて、
生まれてきたことすら感謝できない状態だったけど
どんなに長くて暗いトンネルでも出口はある。
出口に近づいて、ようやく産んでくれたことに感謝できるようになったかなと思う。
似た境遇の誰かの役に立てるかもしれないので手記は続けようと思いますが
学業の傍ら、書いているのでなかなか進みません。
ネガティブな内容にもかかわらず、それでも時々覗きに来てくださる方に感謝です。
本当に有難く思っています。
今日は手記のきっかけになったことを'結論から"お話しようと思います。
手記にも書いてますが、私は宗教2世で、母とは反りが合わず、話が嚙み合わず、
母と話してもいつも平行線のままで会えばどっと疲れる関係でした。
できれば会いたくない人。
なるべく接点をとらないように、会わないようにしてきた。
顔を合わせると不快な気持ちになるのでずっと避けてきた。
母は私に依存、執着していたので私に会おうとしていた。
私が仕事が休みの時であれば、旅行など既成事実を作って、会えない理由を作り
母と接点をとらないようにしていた。
平日、仕事のある時に母が来る場合は、避けられないので母が家に泊まることもあった。
会えば、父が家を出て行った時の話を話し始める。
父のせいで、子どものせいで、人生がめちゃくちゃになったという話を延々にする。
再婚して今は幸せを手にしたのだから、過去のことは水に流してもいいではないか?と思うのだが、ことあるごとに電話でも、会った時にも、慰めて〜といわんばかりに同じ話を30年以上聞かされた。
悲劇のヒロインになってシクシク泣き出す始末。
毎回同じ話を聞くほどつまらいことはない。
愚痴を吐く方はスッキリするかもしれないけど、
その吐いた内容を受け取る方は何日も不快な気持ちを引きずる。
私が聞いたところで過去を変えられない。
自分の機嫌は自分で取ろうよ。
母は私に”母”と”姉”の役割を期待した。
親子逆転の関係。
「なんでつらい気持ちをわかってくれないの」と恨めしく私を睨みシクシク泣くいうオチになる。
「またはじまった…」正直うんざりなので、会いたいという気が起こらなかった。
私が早くに自立して、自分の分は自分で稼ぎ、高校の授業も自分で稼ぎ、家にもお金を入れて、母の代わりに祖母の介護まで、母を楽にさせてきたのに、つらい悲しい、産みたくなかったと言われればお手上げだ。
母とは建設的な話しができなかった。
どうすることもできない過去の話しになり、
ただでさえ仕事をしていたらストレスがたまるのに、さらに私の気力を奪われてる気がして、正直会うのが憂鬱だった。
廃棄物を投げられてる気持ち。
感情の廃棄物処理場にされている気分。
私だって感情と心を持つ人間なのを忘れないでくれ。
新幹線を乗り継がないと気軽に会える距離ではなかったのがせめての救いで
頻繁に会わずに済んだが、それでも母が来るとなれば、この前来たところなのに…また?と、すでにお腹いっぱいになり、私から母に会いにいくことはなかった。
母が負った過去の傷は私はどうすることもできない。それは母が自分で解決しなければならない問題、しかももう30年以上の前の出来事。
性格の違い、価値観の違いはどうすることもできない。
そうやって母を避け続けきて、ずっとこのままこの調子で避けようと思っていたところに
2021年春、母は脳出血で倒れた。
倒れた当初は、出血の量が多く、命が助からないかもしれない。と言われた。
助かっても重度の後遺症が残り、寝たきりの生活になるかもしれない。
家族のことも覚えていないかもしれない。
助かっても重度の言語障害になることを通告された。
それはどこでもドアでいきなり海外に連れてこられれて、
外国語で話しかけられているのと等しいと言われた。
長年親しんできた日本語ですら、理解ができない、
理解できないから話もできないと言われた。
まずは母の命が助かって欲しいという一心で、神様なんて信じていなかったのに
なぜか毎日、一日に数回、エホバに祈っている自分がいた。
どうか元の元気な母に戻りますようにと奇跡に期待した。
仕事中でも、通勤中の満員電車でも母のことを思うと、人目も憚らず涙が止まらなかった。
これが夢なら、早くこの悪夢からさめてほしいと
何度も何度も願い、母の不憫な姿を思い出しては泣き崩れた。
私が母を避けてきた罰なんだと、
母を大切にせず、母を疎ましく思った罰だんだと。
なんで母の話を聞いてやれなかったのだろうかと
今までの自分の行いを悔いた。
結局エホバの祈りは過去にも何の効力も持たなかったし、エホバなんていないのはわかっていたのに、神頼みというのは恐ろしいもので、あんなに嫌っていたエホバに祈っいる自分がいた。
当然のことながら祈りなんて意味がなかった。
一命を取り留めたものの、重度の障害が母にのしかかり、これからご本人様もご家族様も相当の覚悟がないと乗り切れませんよと言われた。
まだコロナの情報が乏しく、世界が戦々恐々としていた時期だったので当然のことながら面会ができなかった。
入院して会えない期間は脳卒中に関する本や失語症に関する本、介護や介護保険に関する本を読み漁り、退院した時に介護できるように猛勉強した。
入院期間中は面会ができない分、母に少しでもリハビリをがんばってもらおうと
頑張ってリハビリをしようと思ってもらおうと毎日応援動画(障害で文字が読めなくなったので動画)を
送っていたが、重度の障害が残った事実を当の本人はなかなか受け入れられずにいた。
これから先、不自由な体とつきあっていかなければならないという病を受け入れられず、窓の外を眺めるだけで一日が終わり、ほとんどリハビリをすることなく、あっという間に半年が過ぎた。
リハビリの先生も無理に押し付けない。
いいように言えば患者に寄り添うスタンス、
悪いように言えば、先生にとってはそっちの方がラク。仕事しなくていいから。
それでは本人のためにならないからと力むのは家族。
リハビリの意欲は本人の性格にも左右される。
6ヶ月も入院していたのに、退院した時は驚くほど何もできない状態だった。
言葉はわかる時もあれば、さっきまで理解してたのに今はその意味がわからないとか。
話すのは難しく、何を言いたいのかわからないことが多い。
ことあるごとに口を挟んできた母ですが、言いたいことが言えないもどかしさ、病から口数が極度に減りました。
仕事を退職をし、介護のために奮闘した。
退院した当初、数か月が本当に大変だった。神経が敏感になっていて、尿意が常に感じるようで1時間に1回、トイレで呼び出しがあるので、まともに睡眠がとれなかった。
義父とふたりがかりで抱えながら簡易トイレまで移動させ、また1時間後に起こされ…の連続だった。
病院でやっていなかった分、家に帰ってからのリハビリが大変だった。
母のためと思い(おしつけ)、
体がおもうように動かない母の気持ちには寄り添わず、なにもしなければどんどん悪くなる一方、
人生100年時代、20~30年、長くこの体とつきあっていかなければならないのだからと、スパルタのようにリハビリをした。
今思えばもっとやさしくしてあげればよかったと思う。
突然一級障害者になったその無念さ、悲しさ、怒り、それは本人でしかわかりようがない。
母の障害がきっかけで気づいたことは市街地は危険な箇所が多く、ちょっとした段差やボコボコしたアスファルトが障害者にはつまづいてしまい、危険でやる気を阻む。
安全に歩く訓練はリハビリできる道がないので、自費でリハビリに通った。
タダで、もしくは医療費の範囲でリハビリできると思われがちだけど違う。
現実は1回で15,000円~20,000円払って、プロの力をかりなければならない。
それを週1~2回となると高い出費だったが
母がよくなって欲しい思いからその出費は惜しまなかった。
フラットで安全なところといったら、自費でないと難しかった。
スパルタの甲斐あって数か月後には杖をついて自分でトイレにいけるようになったが、車いす生活。
歩行距離が徐々に伸びてきたら、オススメしたいのがイオンモール。
リハビリにはいい施設だった。
(イオンモール内はフラットだし、天気に左右されないし、車いす用のトイレもあるし、車いすも貸してくれるし、車椅子用の駐車場もあるし、賑やかで気持ちが晴れる。疲れたら休憩できるフードコートもあるし、イオンさんに感謝)
ある程度、母が回復してから、私は自分の生活に戻った。
人様の力なしでは母は生きていけなくなった母。
介護問題は突然やってくる。
母が倒れた当初は、母の命が助かったらなんでもしてあげたいと思ったのに
自分の生活に戻ってみると、介護問題が肩にのしかかった。
親の老後問題は10年先と思っていたところで
いきなり介護問題が目の前に突き付けられた。
こういう時、弟って役に立たない。
男の人って結論を先送りしようとして問題から逃げる。ラクな方ばかり、苦労することから逃げてきた性格だから話し合いができない。
でもあとから文句は言ってくるタチの悪いタイプ。
兄弟がたくさんいた方がいいって言うけど
兄弟がたくさんいても協力的でなければ意味がない。
結局私一人で抱えてしまい、結論が迫られた状況になると、母からムチで叩かれた時のことを鮮明に思い出すようになった。
祖母の介護を経験しているので、途中でギブアップできない、介護の苦悩を知っている。
家族といえども誰も助けてくれなかった。
母は祖母の介護を私に押し付けた。
私の30代は介護中心になり、まわりの友達が結婚し、子供を育てている時に介護生活になり、まわりと話が全然あわなくなって、まわりが楽しそうにすればするほど、疎外感と焦燥感が押し寄せ、弱音を吐ける場所がなく、どんどん精神的に追い詰められていった。
家族もあてにならない。
家族の非協力な姿勢は亀裂ができ、私は家族全員が嫌いになった。
正論だけは振りかざしてくる。
いや、口は出さずに手を出してくれ!
正論なんて必要ない。
ただ手を貸してくれたら、休めるのに。
誰も助けてくれないことも経験上知っていた。
やる人、やらない人ははっきり分かれる。
手伝うよ!と簡単にいう人こそ、しない。
この経験から精神的に追い詰められることも知っている。
やる気だけでは乗り切れないことも知っている。
介護は2回もできない。
結論は出ているのに、この決断が苦しく、
ミッドナイトクライシスになってしまった。
ほどなくしてショッキングな安倍元首相襲撃死亡事件、それがのちに二世問題として世に取り上げれるようになり、記憶を呼び覚ますきっかけとなり
私の鬱がますますひどくなっていった。
女性は感情に伴う記憶を長期にわたって保存し、
しかも「みずみずしく取り出す」ことが得意な脳の持ち主なのだ。
(妻のトリセツ 黒川伊保子さんの著書より引用)
例に漏れず、母の遺伝子をしっかり受け継いでしまった私も過去の記憶は鮮度抜群、はやうま冷凍。
「感情と記憶はパーシャル保存」
ハイビジョンよりも、さらにきれいな映像「4K」解像度抜群で記憶を取り出せる。
理不尽にもムチで叩かれた記憶と当時の母の鬼の形相した顔が鮮明に蘇ってしまう。
思い出したら、すかさず違う映像に切り替えようと試みた。
母とのいい思い出にすり替えようとしても、そもそも論でいうと母との楽しかった記憶がひとつもない。
エホバにどっぷりつかった生活の記憶だけだ。
違うものにすり替えるのだけど、脳がこの映像とその映像は別物と判断して、正解を求めて何度も何度も過去の映像を繰り返し流すようになった。
このままでは30年以上同じ話を繰り返す母と変わらないじゃないか。
この苦しい状況から逃れたくて私がした2年間の行動。
1.過去の傷ついた自分を癒す(ここは急がずに時間をかける)
どん底にいる自分の気持ちを理解し、寄り添う。
自分の一番の親友になる。
無理に這い上がろうとせず
自分の気持ちに寄り添うことが大事と思いました
2.心の支えになったのは元二世の存在がいたこと。
…
人生思うようにいかないこともたくさんあるじゃないですか。
自分が不幸のどん底の時にある時に
最低限慰められるのは同じ境遇・環境で苦しんでいる仲間がいること
自分と同じようなしんどい状況にいる人が他にもいるということ
絶望を分かち合えることが希望に繋がる
(引用)精神科医 松本俊彦精氏(街録)
一般の友達には理解しにくい世界に生きた私たち。
それを友達に話せる日は来ないかもしれない。
経験したことない人に理解は難しい。
幸せに生きて来た人ほど理解しない。
だから今の私の環境下では話せる気がしない。
でも同じような環境下でも頑張ってる人がいることは私には救いになっている。
3.堂々巡りの過去の映像を見ないようにするために忙しくする。
考える時間が持てないように、私は学校に通うことにした。その内容が難しく、睡眠が3時間という過酷な状況下でも私を悩ませる映像が流れてしまう。
その映像が流れたら、脳が答え合わせをしようとしている(決して心が弱いとかじゃない)
映像が流れてきたらハンマーで叩いて壊すイメージ、電源を押して強制終了するようにイメージした。
次第にその映像をだんだん見なくなった。
今、私と同じように過去の映像が流れてもがき苦しんでいる人の誰かの役に立てばと記載しています。
女性は感情の記憶を鮮明に保存できる能力があると思うのですがいかがでしょうか?
私とは全然違うタイプです。
わたしの経験上、10年に1回くらいは大きな壁にぶち当たる傾向があって
苦しくて頭の中がそれでいっぱいになって支配されてしまったら
仕事に必要な資格や検定試験に集中し、猛勉強を始めることが多いです。
答えの出ないものに縛られて考えてしまう負のループに陥ってしまったら
考えないようにするために、何かに夢中になることって大事ですよね。
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