"鏡の法則"、発売当初の2006年頃に読みました。
さらに10年後には加筆修正された【完全版】が出版されたそうです。
この本は大反響を巻き起こし、ミリオンセラーとなり「自己受容」「自己実現」「家族関係」の専門家として現在も活躍され、"鏡の法則"は今や英語、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語、フランス語などで翻訳され、世界的にも有名な本となりました。
この本を書かれた野口嘉則先生の人柄は、個人的には大好きです。
この本の帯になっているように"9割が涙"したそうですが
1割に該当する人は涙が出ない
または涙こそ流したものの、そう簡単に解決できない人もいます。
本に出てくる家族のエピソードのお父さんは
ただ口下手、表現下手なだけでいいお父さんです。
この程度の親子問題ならば、単なるコミュニケーション不足なので、もっと思っていることを口に出してみたり、係わり方次第で親子の関係性がよくなり、解決はそう難しくないと思います。
1割に該当する人…
つまり機能不全家族で育った人、
親、家族がパーソナル障害、精神障害など
親がネグレスト(育児放棄)
親からの虐待(精神的、身体的、性的を含む)
親子関係で心理的にダメージがあるケース
家庭内不和…夫婦喧嘩が絶えない環境。緊張状態の家庭は子どもにとっては戦場でありやすらぎの場でない。
上記のケースに該当していれば
この本でいうところの"許す"という段階で苦しみます。
本能的に生命の危機を感じるレベルの環境で育った人には、通常の域を越えた異常な出来事をゼロ・なしにすること、つまり
”親を許す” ”親を許さなければならない” というのはあまりにも酷だからです。
許すことを納得してないから。
「納得」とは理解して肯定してること。
許すということは親の異常な間違いを肯定することになるから。
私の場合は、宗教2世で育ちムチという虐待に加え、
言葉の暴力も伴いました
なんで私の元に生まれてきたの?
できちゃった結婚と思われて恥ずかしいと責める(妊娠のタイミング)
あんたなんて産まなきゃよかった
あんたさえいなければお母さんは幸せだったのに
お父さんが出て行ったのはあんたのせい
そうやって私の存在を否定する言葉を投げつけることによって、実は言葉のコントロール、涙のコントロールを巧みに駆使して自分の支配下に置いたのです。
夫婦喧嘩がとにかく激しく、両親は顔を合わせては喧嘩がはじまる。
罵り合い、感情的になった母は父にガラスを投げつけ割れる。それに激情した父は母を殴るという異常な光景を夜な夜な繰り返したのです。
弟たちは一度寝てしまえば朝までグッスリ。
こんな激しい喧嘩でもグッスリ寝ていました。
親の喧嘩が激しいあまり、どっちかがいつアヤメテもおかしくない状況に怯えていました。
とはいえ、休日の昼間でもたまに激しい夫婦喧嘩を繰り広げるため、弟が夫婦喧嘩を全く見なかったわけではありません。
家に安らぎがなければ、外に安らぎを求めるのは自然な流れ。
父は外に安らぎを求め、家を出ました。
父は不倫をして、相手に子供ができて離婚となりました。
結果的には家庭を捨てたことになるのですが、父の気持ちがわからなくもないのです。
元を辿れば夫婦は赤の他人。
精神が壊れてまで生涯共に歩むことなんてできなかったのでしょう。
自分に正直に生きた結果のことと理解できます。
父と母の話し合いで、私は父に育てられる予定のようでした。大人の事情でよくわからないまま結果的には母の元で暮らすことになりました。たらい回しにされたところで、小学生の私は大人の誰かに養育してもらわなければ生きていけません。
本来なら育てる予定のない私が家にいるのですから本人も余裕がなかったのでしょう。
離婚してからは、ストレスのはけ口としてムチを乱用していたように思います。
ムチという虐待に加え、言葉の暴力がエスカレート。我慢しないと食べていけない、ここにいられない…。そういう環境でした。
故に自己肯定感が低いのは低いなりの
しかたがない環境で育ったのです。
中年になった今頃になってフラッシュバック…トラウマが再燃しました。
何度も許すという段階で失敗を繰り返しました。
理不尽に虐待された傷、
その場から逃げられない不可抗力の環境下にいた
子ども時代の私が、抵抗して"おんおん"と泣くのです。
その度に子ども時代の私を抱きしめて、
そうだよね。苦しかったよね。
辛かったよね。痛かったよね。
なんであんなに叩かれなきゃいけなかったんだろうね。
なんであんな言い方しかできないんだろうね。
大丈夫、全然悪くないよ。1ミリも悪くないよ。
よく耐えたよね。普通の人ならできないよ。
もう大丈夫だよ、ごめんね・・・と
幾度となく、傷ついた子ども時代の私を抱きしめ、傷を癒やしなければなりません。
毒親に育てられた人の中でも
親からの虐待を経験をすると
人に心を開き、人を信じることが困難になります。
そんな毒親を許そうと何度も試みても、許せない自分が悪いのかと自己嫌悪へとつながります。なんで自分はできないのか?とまた自分を責め続けます。
法則本、引き寄せの法則など
理想の押し付けのやり方は傷付いた人を追い詰めることになります。
許そうとすると、更に深いメンタルの闇に落ち込んでいく。
許そうとすればするほど、母親の鬼の形相と共にムチ打ちするシーンがよみがえる。
最終的には「許すこと」をやめました。
なぜならどう考えても私は悪くなかったからです。
「許す」ということは、私の価値、自己肯定感をさらに低くするだけだからです。
私を肯定するために無駄な努力をやめました。
私は間違ってない、私は正しかったのです。
そうでないと無意味に傷ついたティーンエイジャー時代の私が報われない。
では、どうやって乗り越えたのか…
それはまた別の機会に。
今日はここまで。
⭐︎補足⭐︎
「鏡の法則」の本を全否定するつもりはありません。
独自考察です。
反対によかったポイントもピックアップしますね。
「私たちの人生の現実は、私たちの心を映し出す鏡である」
人生で起こるどんな問題も、何か大切なことを気づかせてくれるために起きます。
そして、あなたに解決できない問題は決して起きません。
あなたの人生に起きる問題は、あなたに解決する力があり、そしてその解決を通してより幸せな人生を築いていくために表面だって起きるのです。
今、起きて来る事は必ず原因※があっての結果だとしたら、
その結果が思うようなものでないならそれに向き合えば
幸せになる為の答えを導き出されるでしょう
↓
※原因の部分
人間関係の礎となる部分を"毒親との人間関係"で間違って学んでしまってます。
毒親との人間関係の築き方において多々のクセ、間違いが潜んでいます。
これもか!これでもか!と自分でも驚くほど潜在意識に擦り込まれています。
無意識レベルで刷り込まれた潜在意識をひとつずつ紐解いて、マインドブロック手放し、正しく書き換えていく作業なのです。
焦らないでください。
ある部分を抜け出したら、
驚くスピードで解決の糸口が見えてきました。
曇りにみえても、雲の上には太陽があります。
闇があるなら
必ず光もセットで存在しています
だから、ご安心ください。
愛とは幸せとは何か?を深く追求し、
なんとか乗り越えた先には太陽があることを。
沼の時期が長くて苦しかった。
沼の時って自分のよさが見えなくなっているんですね。
そこからのスタートで自分と向き合わなければならないので…
どんな困難に思えても
その先には必ず幸せがある
幸せになる価値がある
そう信じることが大切と思います。